2016年01月28日

1981年1月28日、ヴァージンVSがデビュー曲「ロンリー・ローラー」をリリース

執筆者:今井智子

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ヴァージンVSのデビュー曲「ロンリー・ローラー」が1981年1月28日、キティ・レコードからリリースされた。このバンドはコーラス・ガールもいる7人編成で、フロントマンは”A児”と名乗り、金ピカのジャンプスーツにサングラス、ローラースケートを履いているようなアクションで歌う、なかなかにセンセーショナルなバンドだった。シンプルなコード進行だが、独特の哀愁を帯びたメロディと歌が、なんとも言えない味わいを出している。


この当時、YMOやプラスティックスが海外でも人気を得て話題になっていた。サンディ&サンセッツや土屋昌巳なども渡英し、日本のバンドの可能性が無限大に見えた時期だ。パンク/ニュー・ウェイヴの大波が世界を襲い、従前の音楽に替わるものが様々な形で試みられていた。ヴァージンVSも、そのひとつだった。


TVタイアップもついたシングルを経てアルバム『VIRGIN VS VIRGIN』をリリース。機械の部品のようなものをジャケットに、歌詞カードには童話めいた物語も掲載されていた。ライヴも精力的に行っていたが、実質的な活動期間は1981年~84年の3年間。アルバム2枚を残し解散。21世紀に入り再結成したこともあるが、多くの足跡を残したとは言い難い。”A児”とは、あがた森魚だ。


’72年に「赤色エレジー」で、あがたはデビューした。長髪で下駄を履いて歌い一世を風靡し、『日本少年』など名アルバムを製作した。前進あるのみといった世相へのアンチテーゼとして、古き良き時代を思わせる彼の作品や作風は若者や文化人の支持を得たのだが、それだけではないと彼は言いたかったのではなかろうか。それを脱皮するといった意識で、”A児”を名乗ったのではないかと思う。


ヴァージンVSには、プラスティックスやDEVO、デヴィッド・ボウイなどの影響が見て取れる。その当時に急速に人気を得ていたRCサクセションと、同じプロダクション同じレコード会社だったことも、時代の流れを感じさせる。YMOもそうだが、70年代にデビューした人たちが自身を再構築して80年代に突入する、というのはひとつの流れとしてあった。白紙の若者がガムシャラに新たな時代に呼応して突っ込んでいく力と、ある程度の経験を持った人間が時代の変化を受けて脱構築していく力とが混じり合って、とてつもない変化を起こしていた時代なのだ。


そんな時流に、あがたも敏感に反応した。あがたがヴァージンVSで名乗った”A児"のAは敬愛する稲垣足穂が言うところの”A感覚”によるもので、男女の情愛を超えたものだと、語っていたのを思い出す。たぶん「赤色エレジー」が描く男女の情念といったものへのアンチテーゼ、という意味合いもあったのではなかろうか。より突き抜けたものとして、”A感覚”という言葉を用いていたのだと思う。


それは従前とは違う一歩でありながら、『日本少年』にも顕著な彼独特の少年性でもあり、ヴァージンVSにも受け継がれていた。初作は前述のように、どこかで拾った何かの部品をジャケットのデザインにし、童話めいた文が載る。シンデレラを探し求める主人公は”ブリキ王子”だ。ヴァージンVSは彼の頭の中にあるそんなガジェット感を具現化したもののようでもあった。TVアニメ主題歌には重宝されたそのガジェット感が、以前のあがたを知るリスナーには反発を買ったところも少なからずあったかもしれない。


60~70年代は、”若者”が社会の中で台頭し”大人”と拮抗することでカウンター・カルチャーが生まれたが、80年代は”大人”と違うベクトルで進む”子供”のカルチャーが生まれたのではなかったか。折しも日本では「ヘンタイよいこ」という言葉を糸井重里が提示、TVでは「良い子悪い子普通の子」が並ぶ「イモ欽トリオ」が一世を風靡した。上の世代と拮抗すらしない”新人類”は、70年代的な”若者”を超えたニュー・ウェイヴとなって次の時代へ進んでいた。ヴァージンVSも、そんな流れの中にいたのだ。
ヴァージンVS

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