2017年07月14日
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2017年07月14日
1980年7月14日は、YMO『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』はオリコン1位を獲得した日。79年9月の発売から1年がかりで首位となり、同年度の年間LP順位1位に輝いた。きっかけは79年末の海外ツアーの成功で、記録映像がニュースなどでこぞって紹介され、凱旋公演もチケットが一瞬で完売。その公演を収めたライヴ盤『公的抑圧』で初のオリコン1位を獲得したのを振り出しに、空前のYMOブームが80年代の音楽シーンを席巻する。「ライディーン」がメンバーが出演するフジフイルムCMで使用され、6月にシングルカット。その勢いのまま収録アルバムが年をまたいでチャートに返り咲き、結果、累計110万枚を売るベストセラーとなった。
「テクノポリス」「ライディーン」という2曲を収めた、YMOの代表作とも言えるアルバム。しかしその制作工程は行き当たりばったりで、録音期間も明確ではない。「ビハインド・ザ・マスク」は坂本龍一が書いたセイコーCM曲のリメイク。「テクノポリス」は細野晴臣のオーダーで、坂本がピンク・レディーの楽曲を分析して作られたと言われている。ライヴで鮎川誠(シーナ&ザ・ロケッツ)と即興でやったビートルズカヴァーの試みに味をしめ、彼をゲストに迎えた「デイ・トリッパー」。「アブソリュート・エゴ・ダンス」は沖縄のカチャーシのリズムをコンピュータで再現した細野ソロのような路線で、各々がアイデアを持ち込んで好き勝手やった結晶に。
ドイツのテクノポップの始祖、クラフトワークに影響を受け、シンセサイザーを使ったバンドとして結成されたYMO。しかし同じ方法論ではオリジンを超えられぬ。この時期メンバーが共有していたのは、MC-8というコンピュータを使って人間のノリを再現するもので、これがYMOが打ち込みを使うモチーフとなる。通常♪=24、♩=12といったテンキー入力の数字を、奇数などにズラして生み出したグルーヴが、こうしてデビュー作のディスコサウンドに結実。「シムーン」など、オリジナル・サヴァンナ・バンドを模したキャバレーサウンドが、むしろクラシックな味わいを生んでいる。
しかし80年代はテクノ、ニューウェーヴ、スカと半年ごとにムーブメントが入れ代わる劇的な時期。制作途中にメンバー全員で来日公演に行った、米国のディーヴォの存在に衝撃を受ける。ドラマーが人力で機械のビートに合わせる彼らは、まるで機械音楽のアイロニーのよう。その影響は前作の方法論を吹き飛ばし、海外のニューウェーヴバンドがチープな小型シーケンサーでやっていたような、正確無比な機械のビートに人間が合わせるスタイルへと180度転換するのだ。「デイ・トリッパー」の変拍子アレンジは、ディーヴォがローリング・ストーンズを脱力カヴァーした「サティスファクション」のダイレクトな影響。こうして残り半分がニューウェーヴスタイルに。「A面はディスコ、B面はニューウェーヴ」というのが細野の弁で、A面はメドレーだった前作同様、曲間のないディスコミックス、B面はスマッシュなシングル集のような内容となった。
ディーヴォ「サティスファクション」やフライング・リザーズ「マネー」のような有名曲のカヴァーによる批評スタイルが、YMOに潜むアイロニーを顕在化。「ビハインド・ザ・マスク」も坂本の思考実験として、R&Rの循環コードを使って作られたものだった。海外ではこの曲がアルバムの代表曲となったのも感慨深い。なんとマイケル・ジャクソンが気に入って、補作詞したカヴァーが『スリラー』(83年)の候補曲として82年に録音されるのだ。お蔵入りした同曲は、ツアーサポートの鍵盤奏者だったグレッグ・フィリンゲンスのソロとしてリリースされ、グレッグが参加したエリック・クラプトン『オーガスト』でも取り上げられる。マイケルの死後、同曲はリミックスされて追悼アルバム『マイケル』(2010年)で初公開され、YMOの30年目の秘蔵エピソードに加えられた。
実は「ライディーン」も「雷電」が元の曲の表記。史上最強力士と言われた雷電爲右エ門をモデルに書かれた歌舞伎音楽な高橋のメロディーを、坂本がアカデミックに編曲したもの。フランスに渡って印象派の画家に影響を与えた日本画のように、外国人の考えるオリエンタルなイメージを想定して作られた。細野はここでは効果音担当としてシンセを操り、間奏で『スター・ウォーズ』風の格闘シーンを演出。本作で初めてコンピュ・ミックスが導入されるが、QSエンコーダを使った位相処理で、ヘッドホンで聴くと馬の蹄が頭を駆け抜けるようなミックスも施された。YMO結成でコンピュータを使い始めた細野にとって、日々の録音は初体験の連続で、絵コンテのように音楽を作るのは初めてだったとか。そんな同曲が、日本製アニメ『勇者ライディーン』をもじって「ライディーン」の曲題に置き換えられるのも運命的。YMOが切り開いた文化輸出の回路が、90年代に世界的なジャパニメーションブームに繋がるのだから。
≪著者略歴≫
田中雄二(たなか・ゆうじ): 広告制作会社勤務。本業は映像プロデューサー。大野松雄、TM NETWORKドキュメンタリーの構成のほか、『電子音楽 in JAPAN』『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』『吹替洋画事典』『昭和のテレビ童謡』などの執筆業も。昨年亡くなった冨田勲追悼公演のパンフに計34ページのディスク紹介記事を書いてます。最新刊は『AKB48とニッポンのロック』(今年刊行)。
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