2018年06月20日
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2018年06月20日
ロックやジャズのスーパー・ギタリストが相次いで登場する以前、チェット・アトキンスはギタリストの誰もが憧れた最高峰のプレイヤーだった。軽快かつ華麗なフィンガーピッキング、優雅なフレージング、驚くべき超絶技巧…。50~60年代にギターを手にした者なら、それぞれが目指すジャンルの如何を問わず、彼は神様のような存在だった。ことあるごとにチェット・アトキンスの名を挙げていたジョージ・ハリスンはもとより、ジミ・ヘンドリックスもエリック・クラプトンも、またジャズ・ギタリストの多くも、それぞれの“発展途上”の時代に、アトキンスという存在が放つ磁力から逃れられたとは思えない。
1924年6月20日、テネシー州ラットレル生まれ。高校を出るころにはすでに熟達したギタリストだった。伝説的なカーター・ファミリーの後押しを得て、ナッシュヴィルで大成功を収め、47年にRCAで初録音。50年代にはカントリー・セッションで引っ張りだこになった。同時にRCA専属アーティストとして自身のアルバムをリリースし続ける間、自社のエルヴィス・プレスリー、他社のエヴァリー・ブラザーズらのロックンロール・セッションでも、ギタリストおよび音楽監督(実質的なプロデューサー)として活躍。1957年、ついにはRCAナッシュヴィルのトップ・エグゼクティヴ兼プロデューサー(もちろん専属アーティストも兼ねる)に就任する。
RCAのプロデューサーとしてアトキンスが打ち出したのが、美麗に洗練された“ナッシュヴィル・サウンド”だ。ピアノ、ストリングス、コーラスなど、ポピュラー音楽の手法をカントリーに導入し、南部ローカル的なカントリーのイメージを一変させる。カントリー音楽の“クロスオーヴァー”が始まったのはこの時だ。これにはカントリーの本質を損なうという逆風もついて回ったが、アトキンスは頑なに自身の主張を貫き、50年代末から60年代初期にかけて大きなトレンドを生み出すことになる。
その意味でアトキンスは厳格なプロデューサーだったが、本来はとことんプレイを楽しむギタリストであり、みずから発掘したジェリー・リードとのデュオ作、また76年にはギター界のもう一方の伝説レス・ポールと和気藹々の共演盤をリリースして、大きな話題になった。以後フィンガーピッキング・ギターの先達マール・トラヴィスはじめ、ドック・ワトソン、夭逝した不遇の天才レニー・ブローとの共演盤など、とりわけデュオ・アルバムには、アトキンスのギタリストとしての素顔がのぞいていた。
生涯RCAに在職すると思われたアトキンスが、突然、職を辞したのは1982年のこと。その時の言葉がふるっている。「これまでは他人のために音楽を作ってきた。これからは自分のためにギターを弾く」と。その宣言どおり、83年にコロンビア・レコード(現ソニー)に移籍し、ジョージ・ベンソン、アール・クルー、ラリー・カールトン、リー・リトナー、スティーヴ・ルカサーらを招き、ジャンル不問のセッションを相次いで繰り広げた。
なかでも印象深いのはマーク・ノップラーとの共演作『ネック・アンド・ネック』(90年)だろう。同アルバムの数年前、ノップラーとデュオ・ツアーで共演を重ねていたころ、ノップラー、エヴァリー・ブラザーズ、ウェイロン・ジェニングスら多くの友人たちを迎えたアトキンスのライヴ番組が放映された。素晴らしいギター・プレイが何曲も見聞きできたが、最も印象深かったのは、アトキンスが珍しくギター弾き語りソロで歌った「アイ・スティル・キャント・セイ・グッバイ」という曲だった。子供のころ、父親の帽子を被って鏡に姿を映していた。いま自分の姿が鏡に映るたびに、亡き父の面影を見てしまう。どれだけの涙を流しても、いくら年月が経とうとも、父にさようならが言えない…という内容だ。アトキンスはもちろん本職の歌手でなく、語り口は朴訥と言っていいが、歌い終わるとスタジオに集まったゲストやミュージシャンの全員が、目頭を熱くしていた。番組のハウス・バンドでキーボードを務めていたマイケル・マクドナルドは涙が止まらない様子だった。長いキャリアが醸し出す音楽の感動が、意外にもギターでなく、歌に表われた稀有な瞬間だった。
結腸ガンを患いながらも活動を続け、2001年6月30日、77歳にて没す。影響を与えたギタリスト、育て上げたアーティストは数知れず。カントリーの殿堂入りはとうに果たしていたが、2002年にはロックンロールの殿堂にも選出された。
≪著者略歴≫
宇田和弘(うだ・かずひろ):1952年生まれ。音楽評論家、雑誌編集、青山学院大学非常勤講師、趣味のギター歴は半世紀超…といろんなことやってますが、早い話が年金生活者。60年代音楽を過剰摂取の末、蛇の道に。米国ルーツ系音楽が主な守備範囲。
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