2018年06月21日
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2018年06月21日
ヒデキ、逝く。
そのニュースが伝えられた去る5月17日、筆者は既に幾つかの原稿執筆依頼を受けていて、そのうちの一つに取り掛かろうとしていたが、あまりの衝撃にやるべきことに全く手をつけられず、当然ヒデキの歌を聴くまでの心の余裕もなかった。共に育ったというべきヒーローが亡くなった直後の心理とは、そういうものである。今まで数多の女性アイドルについてのコラムを書かせて頂いたけど、そんなヒロイン達の多くにとって、ヒデキは憧れであり、かつ芸能界のミチビキエンゼルと言うべき存在だった。時代を歌い、時代を躍らせた真のスター。筆者のような1965年生まれの者にとっては、小学生時代の6年間が丁度デビューから「あなたと愛のために」までの、勢い溢れすぎた時代と符合するのだから、なおさらヒーロー度を高く感じる。中学生を過ぎると、同性で年上の芸能人に対して憧憬の対象としての「アイドル」という感情を抱くことはまず無くなるのが常なのだが、筆者にとってヒデキはそれから後もしばらく「アイドル」であり続けた。「カリスマ」へと飛翔したジュリーと違い、常に歌を通して勇気を与えてくれる兄貴だったのである。そして、あのアクションを目にして、初めて「ロック」とは何たるものかを知った者も、筆者の世代にはごまんといると信じている。
たまたま本日6月21日の出来事を振り返る機会を与えられて、ヒデキに関する目ぼしい動きはあったかなと探してみれば、80年代に2枚のシングルが発売された記録が残っている(代表作「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」に至るまでのシングルは、殆どが5日か25日発売となっており、ビクター系レーベルは79年を境に21日発売のケースが多くなる)。ひとつは81年の同日に発売された「セクシー・ガール」。当時、ツッパリの世界観をお茶の間にまで浸透させた横浜銀蝿が手がけた、オールディーズテイストが新鮮味を醸し出した一曲だ。もうひとつは、翌82年の同日リリースされた「聖・少女」である。ヒデキにとって通算42枚目にあたるシングルだ。
この曲には、実に感慨を深くさせる一面がある。初めて作曲者に起用されたのが、吉田拓郎なのだ。デビューからしばらくは水と油のような二人と思われたヒデキと拓郎だが、それまでの歩みはまさに共闘と呼ぶべきものだった。
67〜68年、GSブームの中、全国区となるバンドを生み出すには至らなかった広島のアマチュア音楽シーンで孤軍奮闘していたバンド、ダウン・タウンズのリーダーを務めていたのが吉田拓郎だ。ちなみにのちにモップスが歌って大ヒットした「たどりついたらいつも雨ふり」は、ダウン・タウンズの当たり曲だった「好きになったよ女の娘」を改作したものである。そんなローカル・バンド・シーンで、ダウン・タウンズのフォロワー的位置にいたベガーズというバンド。そのドラマーの座に小学5年生という若さで座ることになったのが、他ならぬ西城秀樹だった。よくダウン・タウンズの練習場所にたむろしていて、当時大学生だった拓郎たちには煙たがられたそうだ。
その後、フォークの貴公子として躍進を始めつつ、時折歌謡界に色目を使う拓郎と、歌謡界の若き獅子にしてよりロックへと傾倒するヒデキの歩む道が交差することは殆どなかったが、両者を再び引き合わせたのがムッシュかまやつだったことに驚きはない。三者の間には「寺内貫太郎一家」を軸とする微妙なリンクがあったからだ。こうしてやっと、82年にコラボレーションが実現する。
80年代前半のヒデキには、20代後半という世代に釣り合った、大人のロック=AOR風味を感じさせる楽曲が増え、この曲の前後にはオフコース「眠れぬ夜」のカバーがヒットしたり、代表曲のひとつとして認知されるまでに時間を要したもんたよしのり作品「ギャランドゥ」が出たりしているのだが、この「聖・少女」もフォーク系というより、AOR路線のひとつとして捉えたい一曲である。作詞を担当した松本隆とも、意外にも初めてのコラボレーション。70年代の熱すぎるイメージから一転して、クールな視線で年下(多分)の女子を見つめる歌詞が、まさしく新境地。93年リリースされたベストアルバム『History of Hideki Saijo Vol.2』のライナーでのヒデキ自身の言葉を借りると、その歌詞と融合した途端「広島弁メロディー」を紡いでしまう拓郎マジック。これこそ80年代にいみじくも生まれてしまった、GSブームに乗り損ねた巨頭二人が紡いだ「広島GS歌謡」なのかもしれない。この曲は結局、ヒデキにとって最後のオリコン・ベスト10入りヒット曲となり、同年暮れの紅白歌合戦でも歌われた。
前述したベストアルバムのライナーの巻末では、収録曲「33才」の歌詞に因んで「33才で人生半分って、『俺、66才で死ぬのかよ?』みたいな…」と密かなる思いを綴っていたけど、3年も早かったじゃないかよ、兄貴。こうも深い感慨に浸ると、「ジャガー」の台詞とか、涙なしに聴くことはできない。改めて、ご冥福をお祈りする。
西城秀樹 「聖・少女」「眠れぬ夜」「ギャランドゥ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月に3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。
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