2018年10月04日
スポンサーリンク
2018年10月04日
あれはフジテレビのお昼にやっていた『笑ってる場合ですよ!』がまだ人気を博していたときでした。フジテレビのプロデューサーの横澤彪さんから直々に次のお昼のバラエティー番組を始めるので、そのテーマ曲をお願いしたいという依頼を受けました。
横澤さんはかって『オレたちひょうきん族』のテーマ曲に僕と山下達郎君とが共作した「DOWN TOWN」を起用してくださったかた。
打ち合わせが始まるやその横澤さんからの開口一番、その頃まだ、夜の11時より早い時間帯のテレビに出ていなかったタモリさんを昼間のスターにしたいという力強い言葉にはほんと驚きました。
しかも3人の「いいとも青年隊」をバックに従えてタモリさんが番組オープニングで踊りながら歌える曲をという依頼。一瞬そのすごい発想に戸惑いましたが、すぐに僕の頭に、子供の頃好きだった「シャボン玉ホリデー」という音楽バラエティー番組のエンディングで、その日の出演者全員で「明日があるさ」を歌って踊る楽しかったシーンを思い出しました。
そこで「明日があるさ」みたいなボックス・ステップスを踊れるような曲はどうでしょうと提案したところ、即答で横澤さんからOKをいただきました。
小泉長一郎さんが書かれた詞がすでにあったのでそれをいただいて自宅に帰ると早速取り掛かることに。
自分が歌うわけじゃない気軽さと、すでに詩があったために、迷うことなく言葉に浮かんだメロディをつけて行ったらなんとさくさくと20分くらいでできてしまった。多分僕の生涯作った曲の中では最短時間曲ではないかと思います。
その曲が使われた「いいとも」がなんと30年も使われることになろうとは … 。
その時、作曲と同時に編曲の依頼も受けましたが、忙しくてアレンジをする時間がなかったので鷺巣詩郎さんにお願いしました。放送の最後のテロップに 「音楽:鷺巣詩郎、伊藤銀次」というクレジットが出ていたのは、「ウキウキWATCHING」のテーマの作曲が僕で、その編曲と番組内で流れるジングルが鷺巣さんという意味でした。
残念ながら作詞者の名前がクレジットされてませんでした。この曲のなかなかファンキーで前向きな詞は前述の小泉長一郎さん。あのばんばひろふみさんの大ヒット曲、「SACHIKO」の詞を手がけたかたです。
「ウキウキ WATCHING」は、同じくこの小泉・銀次・鷺巣のコンビで制作した「だったらツイスト」という曲とカップリングで当時リリースされましたが全然売れず、その後残念ながらCD化されることはありませんでした。
2012年に僕がデビュー40周年を迎えるにあたり、その記念盤のベスト・アルバム『Golden☆Best』をリリースするときに、僕自身がセルフカバーしてレコーディング、ボーナストラックとして収録しました。
現在オリジナルに近い形で聴くことのできる「ウキウキWATCHING」は僕のこのヴァージョンだけです。
EPO・ひょうきんストリートBAND「ダウン・タウン DOWN TOWN / タケちゃんマンの歌」、「明日があるさ」(シャボン玉ホリデー)、いいとも青年隊「ウキウキWATCHING」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
伊藤銀次(いとう・ぎんじ):1972年、バンド"ごまのはえ"でプロ・デビュー。大瀧詠一と出会い、はっぴいえんどの解散コンサートに"ココナツ・バンク"として出演するが、ほどなく解散。一時期、"シュガー・ベイブ"に在籍し、名曲「DownTown」を山下達郎と共作、また大滝詠一、山下達郎と共に『Niagara Triangle Vol.1』に参加。1977年に初のソロ・アルバム『Deadly Drive』をリリース。その後はアレンジャー/プロデューサーとして沢田研二、アンルイスなど数々のアーティストを手掛ける傍ら、佐野元春のバンド"The Heartland"のギタリストとしても活動。ソロ・アーティストとして『Baby Blue』『Sugar Boy Blues』『GET HAPPY』『LOVE PARADE』等を発表。1990年代以降はプロデューサーとして手掛けたウルフルズが大ヒットを記録。2007年からは、「I STAND ALONE」という弾き語りライヴを各地で開催。オフィシャルブログ:「SUNDAY GINJI」
本日、12月24日は伊藤銀次の誕生日である。1950年、大阪生まれ。68歳になる。ごまのはえ、ココナツ・バンク、シュガー・ベイブ、ナイアガラ・トライアングルなど、大瀧詠一率いる“ナイアガラ”の懐...
1995年12月6日。ウルフルズを世に知らしめた、シングル「ガッツだぜ!!」がリリースされた。これより3年前の1992年にメジャーデビューした大阪出身のバンドは、これといったヒット曲も出せず苦し...
本日8月16日は“女子大生の日”である。日本で初めての女子大生が誕生したことに由来するという。女子大生と言えば、80年代に女子大生ブームを牽引した『オールナイトフジ』というフジテレビのバラエティ...
1981年、千代の富士が横綱になり、なめ猫がブームになったこの年に『オレたちひょうきん族』は始まった。EPOの「DOWN TOWN」をはじめとする洒落たエンディングから番組内で生まれた出演者たち...
「NHKの『紅白歌合戦』を、毎週、お茶の間に届けます」 こういった大胆極まりないコンセプトで始まった、日本テレビの『紅白歌のベストテン』は、1969年10月6日に放送が開始された。渋谷公会堂から...
日本初の深夜のワイドショー番組『11PM』がスタートしたのは1965年11月8日のこと。それからもう半世紀という長い月日が経つ。それまで視聴率的に不毛だった深夜の時間帯を開拓した意義は大きく、東...
1973年にフジテレビ系で放送が開始された子ども向け教育番組『ひらけ!ポンキッキ』。先行していた『ママとあそぼう!ピンポンパン』(1966~1982年)のスタジオ・バラエティ方式とは異なり、言葉...
『NHK紅白歌合戦』といえば、大晦日に放映される一年の締め括りのテレビ番組として国民の間で広く浸透しているが、第3回までは新年が明けてからの放送で、第1回の放送は今から65年前の1951年(昭和...