2018年12月24日
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2018年12月24日
本日、12月24日は伊藤銀次の誕生日である。1950年12月24日、大阪生まれ。68歳になる。今日、12月24日(月・祝)の夜には東京・吉祥寺「STAR PINE’S CAFE」で、毎年恒例のクリスマス・コンサート『伊藤銀次のWINTER WONDER MEETING 2018』が開催される。誕生日とクリスマスという2つイベントを盛大に祝ってほしい。
伊藤はごまのはえ、ココナツ・バンク、シュガー・ベイブ、ナイアガラ・トライアングルなど、大瀧詠一率いる“ナイアガラ”の懐刀として活躍。ナイアガラを離れた後はアレンジャー、プロデューサーとして、佐野元春や沢田研二、ウルフルズなどのブレイクやヒットに貢献、また、ソロ・アーティストとしても数多くの名作を発表するなど、日本の音楽界で必要欠くべからずの存在である。平成の“バンド・ブーム”時には“イカ天”の辛口審査員として、その名を知られるようになる。かの国民的番組『笑っていいとも!』のオープニング・テーマ「ウキウキWATCHING」は伊藤銀次が作ったもので、誰もが知る国民的ヒット曲となっている。山下達郎と共作したシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」(1975年)やナイアガラ・トライアングルの「幸せにさよなら」(1976年)やソロ・デビュー作『DEADLYDRIVE』(1977年)に収録された「風になれるなら」、再デビュー作『BABY BLUE』(1982年)の表題曲「BABY BLUE」など、いまだに歌い継がれる名曲を残している。
昨2017年は、1972年9月にシングル「留子ちゃんたら」で、ごまのはえとしてデビューから45年。“アニヴァーサリー”に関連して、様々なリリースやイベント、出版が相次いだ。2017年10月に前作『LOVE PARADE』(1993年) から実に24年ぶり、通算14枚目のソロ・アルバム『MAGIC TIME』(その前年2016年11月には幻のバンド、ココナツ・バンクの“完全版”とでもいうべきアルバム『THE COMPLETE COCONUTS BANK/ココナツ・バンク』をリリース)、2017年11月には伊藤銀次デビュー45周年記念BOX『POP FILE 1972-2017』(CD4枚組)も発表している。本2018年もアニヴァーサリー・イヤーは続き、3月には初の本格的自伝『伊藤銀次 自伝MY LIFE, POP LIFE』を発表した。
45周年を契機にこれまでの活動を総括しているのかのようだ。2015年から杉真理や村田和人と始めたライブ・ツアー『奇跡のトライアングル』は、2016年2月の村田の逝去後、2016年から杉と『トライアングルの軌跡』へ、同ツアーでは「君は天然色」や「A面で恋をして」という、大滝詠一、ナイアガラ・トライアングルの名曲を披露するなど、“ナイアガラの遺伝子”を継承していくことを宣言、そして、2018年9月には『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』や『イントロの法則80's~沢田研二から大滝詠一まで』でお馴染みのライター、スージー鈴木とのトーク・イベント『Talk & Live Re:spect vol.2―人間交差点 ♪ 伊藤銀次』を開催。同イベントでは大瀧詠一や佐野元春、沢田研二などとの逸話を惜しげもなく披露している。“繋ぎ人”、“伝え人”の面目躍如。佐野元春は伊藤のことを“振り返るといつもそこに伊藤銀次がいた”と語るが、まさに伊藤の歩んできた道を辿ると、日本のロックやポップスの歴史と重なっていく。
また、11月1日には神奈川・横浜「関内ホール」で開催されたライブ・イベント『Sony Music Direct Presents otonano ライブ』に出演。大貫妙子と共演している。同イベントのホスト・バンドにはごまのはえ、ココナツ・バンク、シュガー・ベイブの盟友、上原“ユカリ”裕も出演していた。伊藤銀次、大貫妙子、上原“ユカリ”裕という、シュガー・ベイブの元メンバー3人の揃い踏み。「すてきなメロディー」や「DOWN TOWN」を披露している。夢の競演が実現しているのだ。
と、書くと、伊藤銀次が“歴史の男”(山根前会長か!)みたいだが、実は巧みな“SNS戦略”(というほど嫌らしさはなく、自然に使いこなしている)でも知られる。Facebookを中心に“いいとも!”と、“友達の輪”を広げ、そこから新たな人脈や潮流を作っている。アコギ弾き語りツアー『伊藤銀次のI Stand Alone』や音楽と食のコラボ『伊藤銀次のビバーチェな夜だから』、ジャズ・ヴォーカルに挑戦する『伊藤銀次のI Love Jazz』など、全国各地、各所へのツアーやライブ、長江健次や成瀬英樹、小峰倫明らとの新旧問わず、様々なアーティストとのコラボレーションなど、縦横無尽の活動、その活動の普及・発展にはSNSの存在を抜きにしては語れない。
また、ネットラジオ『伊藤銀次のPOP FILE RETURNS』やライブ配信サービス Abema Fresh! LIVE、WASABEEチャンネル『伊藤銀次のウキウキミュージック』では、吉田建や上原“ユカリ”裕、大貫妙子、村松邦男、杉真理、佐野元春、太田裕美、リクオ、いまみちともたか、曾我部恵一、高田漣、鮎川誠、井上鑑……など、数多くのアーティストがゲスト出演して、彼ら、彼女らと音楽談義を繰り広げている。特に『伊藤銀次のPOP FILE RETURNS』は、2012年にデビュー40周年を迎え、リリースされたベスト・アルバム『伊藤銀次 GOLDEN☆BEST~40th Anniversary Edition~』に収録された楽曲を紹介するために、翌2013年4月に開始されたものだが、好評で現在も続き、数多のゲストを迎え、その回数は270回を超える長寿番組(!?)になっている。実際にネットラジオやWEBテレビでの再会や新たな出会いが契機となり、新たなコラボレーションなども生まれている。
伊藤の師匠である大瀧詠一は“縁”を大事にしていた。伊藤も出会いの達人であり、その縁を紡ぎ、様々な活動を通し、数多の作品を生み出す。伊藤が大瀧の弟子であることは自認も他認もしている。大瀧が“ナイアガラ”というレーベルや『ゴー・ゴー・ナイアガラ』、『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』、『大瀧詠一の日本ポップス伝』というラジオ番組でしてきたことを、伊藤はSNSやネットラジオ、WEBテレビでしているかのようだ。“場所”の違いはあるものの、その活動は通じるものがある。その音楽だけでなく、その活動の方針や形態も被る。伊藤も自らの音楽活動だけでなく、トーク・イベント『銀次の部屋』やオフィシャル・ブログ『SUNDAY GINJI』などで、ポップスやロックの歴史を紐解き、その歴史を引き継ぐための作業も怠らない。
今年も忙しく動き回った伊藤だが、これらの活動の点が線となり、面となる。来年のことを言うと、鬼が笑うが、敢えて書き記しておく。詳細は未定で、予定の部分はあるものの、『MAGIC TIME』に続く、15枚目のオリジナル・アルバムを“早く”もリリースするという。また、2017年10月6日、ビルボードライブ大阪、同10月20日、ビルボードライブ東京で、杉真理やEPO、高野寛をゲストに招き、開催した45周年記念ライブ『伊藤銀次の45年目のウキウキミュージック ~The 45th anniversary~』のライブ・アルバムもリリースされる。さらに同ライブの“Vol.2”の開催も来春に予定されているという。“50周年”に向けて、益々、三益愛子(!?)、快走する伊藤銀次である。すべてのポップス、ロック・ファンは彼の行動から目が離せそうもない。来年も楽しませてくれそうだ。
いいとも青年隊「うきうきWATCHING,」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
市川清師(いちかわ・きよし):『MUSIC STEADY』元編集長。日本のロック・ポップスに30年以上関わる。同編集長を退任後は、音楽のみならず、社会、政治、芸能、風俗、グラビアなど、幅広く活躍。共著、編集に音楽系では『日本ロック大系』(白夜書房)、『エンゼル・ウィズ・スカーフェイス 森山達也 from THE MODS』(JICC)、『MOSTLY MOTOHARU』(ストレンジデイズ)、『風のようにうたが流れていた 小田和正私的音楽史』(宝島社)、『佐野元春 SOUND&VISION 1980-2010』(ユーキャン)など。近年、ブログ「Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !」で、『MUSIC STEADY』を再現している。
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