2017年10月06日

1969年の今日、歌番組の源流となる日本テレビ『紅白歌のベストテン』が放送開始

執筆者:馬飼野元宏

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「NHKの『紅白歌合戦』を、毎週、お茶の間に届けます」

こういった大胆極まりないコンセプトで始まった、日本テレビの『紅白歌のベストテン』は、1969年10月6日に放送が開始された。


日本で最初の民放テレビ放送局である日本テレビは、もともと音楽番組の制作に強く、60年代には『シャボン玉ホリデー』をはじめ、幾多の音楽番組を生み出してきた。『紅白歌のベストテン』もその流れの中で生まれた番組であるが、同番組が特徴的であったのは、公開収録による生放送という点にある。原則として渋谷公会堂からの生中継で、「ベストテン」というだけあり、10人の歌手が出演し持ち歌を披露するというものであった。


観覧希望は通常、葉書応募であったが、放送日である月曜日に、麹町にあった日本テレビの前に行くと無料の観覧券を配っていた。また地方の中学・高校の修学旅行の定番コースとなり、オープニングで観覧に来た学校を紹介するのもその後定着している。


毎週、『紅白歌合戦』を行うというだけあり、出演者は紅組、白組に分かれ、それぞれにキャプテンがレギュラー出演していた。ちなみに白組キャプテンは堺正章が初回から番組終了までつとめ、紅組キャプテンは初代が水前寺清子、その後3ヶ月の空白期を経て倍賞美津子、今陽子、岡崎友紀、大場久美子、榊原郁恵と代わっていく。空白期には珍しいことに大映女優として活躍していた梓英子や、ベテラン女優の丹下キヨ子が代打をつとめていた。


ベストテンといっても、のちのTBS『ザ・ベストテン』や、同番組の後継となった『ザ・トップテン』のようにヒット曲のランキング形式ではなく、あくまで男女5人(組)ずつ集めて対抗戦を行うということで、順位をつけるようなものではなかった。日テレ系列局ごとに電話審査員による審査が行われ、紅白どちらのチームが良かったかを集計、支持する系列局が多いチームがその回の優勝となる。


出演者は70年代以降、主にアイドル歌手が多く、白組は新御三家の野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹が毎週交代のように出演し、紅組は「花の中三トリオ」の森昌子、桜田淳子、山口百恵の出演が多く、演歌では五木ひろしと八代亜紀が頻繁に出演していた。「花の中三トリオ」は同じ日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』の出身者で組まれたユニットで、新御三家と中三トリオが中心軸となった70年代のアイドル黄金時代に、『紅白歌のベストテン』は大きな貢献を果たしていたのである。


『紅白歌のベストテン』の名物企画といえば、まず夏になると、東京サマーランドや赤坂プリンスホテルで行われる「プール大会」。歌手が水着で歌うスタイルは夏の風物詩となった。もう1つは「ウソ発見器」のコーナーで、出演歌手の1人が椅子に座らされ、様々な質問を受け、どんな質問でもすべて「いいえ」で答えなければいけない、というもの。その時の反応で、後ろの電飾がつき、きわどい質問に出演者が泣いてしまうこともしばしば起きた。フジテレビの『夜のヒットスタジオ』のコンピューター恋人診断を意識した企画だが、生放送でしかも公開中継というだけあり、えげつなさはこちらのほうが上である。ことに孤児院出身を問い詰められた豊川誕の回と、監禁事件直後の岡田奈々の回は伝説となっている。


70年代の日本テレビの音楽・バラエティ番組の特徴として、「公開収録」「生放送」「視聴者参加型」がある。『味の素ホイホイ・ミュージックスクール』や『あなた出番です!』『スターへばく進!』などの歌謡バラエティ、オーディション番組のコンセプトはのちに『スター誕生!』へと引き継がれており、いっぽうで『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』や『TVジョッキー』のようなバラエティも公開収録の形をとっている。音楽番組では『紅白歌のベストテン』の公開収録、生中継スタイルはそのまま、年1回行われる『日本テレビ音楽祭』の日本武道館で行われた本選にも引き継がれている。同音楽祭は、各局で盛んだった音楽賞レースの1つだが、一般客を集めての観覧形式は珍しい。同じくそのスタイルをチャリティ番組にしたものが『24時間テレビ 愛は地球を救う』なのである。


もう1つ、この時期の日本テレビは、執拗なまでにNHK『紅白歌合戦』を意識した番組づくりを行っていた。『裏番組をぶっとばせ!』では69年の大晦日に『紅白』の裏番組として放送され、その後も『コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ! なんてことするの!? 』を3年間放送し、78年には『スター誕生!』出身のピンク・レディーが『紅白』出場を辞退し、チャリティ番組『ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』を放送するなど、怪物番組と呼ばれた『紅白歌合戦』に対し、挑発的な番組づくりを行ってきた。『紅白歌のベストテン』は、番組企画の発想自体が、まさにそういった日本テレビの土壌から生まれたものだと言っていいだろう。


この番組にまつわる大きな事件が「渡辺プロダクションと日本テレビの決裂」である。73年に渡辺プロダクションが独自のオーディション番組『あなたならOK!』を計画、『紅白歌のベストテン』と同じ月曜8時にNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送することになった。それまで『シャボン玉ホリデー』などで渡辺プロとは蜜月関係にあった日本テレビは、音楽・バラエティ班の責任者である井原高忠が話し合いをしたが、ナベプロ側が「お宅の番組の時間を移動させれば」と主張し、日本テレビ側はこれに怒り、真っ向からこの挑戦を受けて立った。これによって『紅白歌のベストテン』にはナベプロ系の歌手が出演できなくなったが、この事件によって日本の芸能界はナベプロ一強時代から、ホリプロ、サンミュージックなど新興の芸能プロダクションが活躍する群雄割拠時代を迎えることになる。


『紅白歌のベストテン』は、1981年3月23日をもって放送終了。紅組キャプテンの榊原郁恵と白組キャプテンの堺正章は、そのまま継続して後番組の『ザ・トップテン』の司会をつとめた。


≪著者略歴≫

馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。

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