2018年10月17日
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2018年10月17日
1981年から週刊少年ジャンプ(集英社)で連載が開始された、北条司によるマンガ『キャッツ・アイ』。鳥山明の『Dr.スランプ』、高橋陽一の『キャプテン翼』、ゆでたまごの『キン肉マン』等とともに、連載作品のテレビアニメ化による相乗効果で大ヒットを連発することになる、1980年代の少年ジャンプ黄金期を支えた作品である。そのテレビアニメの放送が始まったのは、1983年7月11日のこと。オープニング主題歌「CAT'S EYE」(作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:大谷和夫)の歌唱を担当したのは、1978年に「オリビアを聴きながら」を若干17歳で歌い、スマッシュヒットを獲得してから約5年を経たシンガーソングライター:杏里だった。彼女の13枚目のシングルとなったこの曲は、リリースされた1983年8月5日から快進撃を続け、9月26日にはオリコン・シングルチャートで1位に到達。以後、5週にわたって1位を独占することになる。1983年のチャートを眺めると薬師丸ひろ子「探偵物語/すこしだけやさしく」の7週連続1位に次ぐ快挙となり、当時のアニメ主題歌としては異例とも言える大ヒットとなった。本日10月17日は、「CAY'S EYE」の人気が確実となった4周目の第1位を獲得した日である。
杏里の肩書として、「シンガー」を使わなかったのは、彼女は作詞作曲もこなす「シンガーソングライター」と呼ぶにふさわしいアーティストだからだ。シングルA面では、尾崎亜美、瀬尾一三、鈴木慶一、小林武史らからの曲提供を受けているが、デビュー曲「オリビアを聴きながら」のB面「So Long」からして杏里自身の作曲によるもの。オリジナルアルバムでは幾多の曲で作詞作曲を自ら手掛けている。加えて「CAT'S EYE」直前の1983年6月5日に発売された5th.アルバム『Bi・Ki・Ni』では、A面(1~5曲目)のプロデュースに角松敏生を迎え、後に彼女のイメージを決定づけるAORサウンドに大きく舵を切ったばかり。そんなタイミングでの「CAT'S EYE」の歌唱依頼には、当時の自身の音楽性と「アニメ番組の主題歌」とのギャップに対して悩むところがあり、当初はあまり乗り気ではなかったことを後に告白している。
またアニメ『キャッツ・アイ』を毎週観ていたアニメファン側も、この主題歌が歌番組でトップを走り続けることを、驚きを持って見守っていた。沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」(1978)や、ゴダイゴの「銀河鉄道999」(1979)など、それまでにもアニメソングがベストテン番組に飛び込んでくる先例はあったものの、大作映画の主題歌であるなど、どこか「特別なこと」という印象があった。しかし、「CAT'S EYE」は違った。チャンネルを回せば毎週観ることができる「日常」の番組テーマだからだ。テレビアニメ主題歌がオリコン1位を5週も独占する。この経験のない事態に対して、歌のヒットのためにアニメ作品が利用されている…… そんな言いがかりに近い拒否反応を示すファンも少なくなかった。
このポップス側・アニメ側の双方が抱いていた「違和感」こそ、新しい時代にシフトアップしていく際のギアの「軋み」のようなものだったのかもしれない。「CAT'S EYE」のヒットの後、ビクター系アイドル歌手のアニメソングへの流入、岩崎良美の「タッチ」や、おニャン子クラブメンバーを中心としたキャニオンレコード&フジテレビアニメの隆盛など、「アニメソングとポップスとの自然な融合」は、急速に日常化していく。こうした感覚は、1987年に放送を開始したアニメ『シティーハンター』のエンディングテーマ「Get Wild」(TM NETWORK)の大ヒットでシフトチェンジを完了したと言えるのではないだろか。同じ日本テレビ/よみうりテレビ系月曜19時枠で、「Get Wild」の4年前に流れていたのが他ならぬ「CAT'S EYE」だ。わずか4年間の違いだが、この間の進化の大きさを物語るのが、あの「軋み」の感覚の有無、ということだろう。アニメソングとポップスとの間に壁の無い世界。そこへ通じる「秘密めいた扉」を開いたのは、まさしく「CAT'S EYE」なのだ。
最終的には82万枚を売り上げた「CAT'S EYE」は、1983年末の「第34回NHK紅白歌合戦」に出場を果たす。その時点でアニメ『キャッツ・アイ』(第1期)はまだ放送中だったが、杏里は「CAT'S EYE」を熱唱。放送中の民放番組の主題歌を紅白の舞台で歌うという、当時としては極めて異例な、逆に言えば、NHKとしては大きな「雪解け対応」となる前例を作り上げる。これもまた「CAT'S EYE」が壊した古い時代の壁の一つだ。その少し前、1983年12月5日発売の杏里の6th.アルバム『Timely!!』には、本作から全面的なプロデュースを請け負うことになった角松敏生の編曲による、全くカラーの異なるアルバム・ヴァージョンの「CAT'S EYE」が収録されている。杏里の中から、あの「軋み」が消え去ったことの証跡と言えるではないだろうか。
最後に一つ。「CAT'S EYE」の作曲者:小田裕一郎が、2018年9月17日に世を去ったことが報じられた。その訃報を伝える記事で、氏の代表作として挙げられたのは、サーカスの「アメリカン・フィーリング」、松田聖子の「青い珊瑚礁」「裸足の季節」、そして「CAT'S EYE」だった。あらためて、この曲が80年代ポップス/アニメソングの双方に記した足跡の大きさを思い知らされる。
「CAT'S EYE」「オリビアを聴きながら」『Bi・Ki・Ni』『Timely!!』岩崎良美「タッチ」TM NETWORK「Get Wild」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
不破了三(ふわ・りょうぞう):音楽ライター、CD企画・構成、音楽家インタビュー 、エレベーター奏法継承指弾きベーシスト。CD『水木一郎 レア・グルーヴ・トラックス』(日本コロムビア)選曲原案およびインタビューを担当。
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