2018年12月05日
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2018年12月05日
「ドゥー・ワップ」という言葉を知ったのはいつのことだろう。言葉はともかくレコードでそのような音楽に触れたのは1972年、高校2年生のことだったと思う。ビートルズ不在の虚無感を埋めてくれたのはビートルズ以前の洋楽、いわゆるオールディーズだった。月に一度は住んでいた茅ケ崎から東京へレコードの買い出しに出かけた。もっぱら銀座のハンターと神保町の中古レコード店が中心だったがオールディーズのオムニバスが結構置いてあったお茶の水のディスク・ユニオンにもよく行った。
日本コロムビアが出してくれたルーレットのオールディーズ・コンピ『ロックンロール・オリジナル・ヒット』で火がついた、まだ見ぬ(聴かぬ)オールディーズ名曲探訪にはオムニバス・レコードが最適だった。が、常に「懐かしの・・・」といううたい文句の日本盤にはろくなものがなく、結果アメリカ盤にいくしか、なかった。それもオリジナル・サウンドが出していた憧れの『オールディーズ・バット・グッディーズ』シリーズは見かけても一枚2500円以上の高額物件でおいそれと手が出ず、カット盤や廉価盤がその主だった。
そんななかユニオンにて1,280円で買ったアトランティックの『History Of Rhythm & Blues Vol. 2』は抜群だった。マイ・ミュージックに出会ったような気がした。特にタイミングよく読んだばかりの片岡義男著の『ぼくはプレスリーが大好き』に出てきたザ・コーズの「シュ・ブーン」が最高だった。この曲こそが私にとっての最初のドゥー・ワップになった。トリップ・レコードの廉価粗悪盤『16 Golden Oldies Vol. 3』にはザ・ファイヴ・サテンズの「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」、ザ・ハープトーンズの「マイ・メモリーズ・オブ・ユー」、ザ・ブルー・ジェイズの「ラヴァーズ・アイランド」など今でも好きなドゥー・ワップがいっぱい入っていて当時一番の愛聴盤になり高校から帰ると毎日のように聴いた。
このような古い音楽を聴いている同級生はいなかったが、大学に入るとさすがに交友関係も増えてこのようなジャンルの音楽は「ドゥー・ワップ」と呼ばれていることがわかった。いったい自分の愛聴曲がいつ発売になりどの程度ヒットしたのか、あるいはしなかったのかもようやくレコード・リサーチなどの情報からわかるようになった。そのころ登場したニュー・バンド、シュガー・ベイブのリーダー山下達郎という人は相当のオールディーズ・マニアだということが伝わってきた。彼のオールナイトニッポンを聴いてみると、それは、それはマニアックな選曲で、やはり世の中にはスゴい人がいるものだと感心し、同時に自分のレベルを知った。
1980年、長い下積みを経て山下達郎氏は「ライド・オン・タイム」でブレイク、その勢いか、ヒットのご褒美か『オン・ザ・ストリート・コーナー』という空前絶後の一人アカペラ・ドゥー・ワップ・カヴァー・アルバムをリリースした。嬉しかったのは選ばれた楽曲のオリジナル全てをその時点で知っていたことだ。長年この手の音楽を聴いてきてよかったとひとり喜んだ。そして驚き、感心したのはオリコンなど業界誌に載ったアルバムの広告に美辞麗句はなく、収録楽曲を淡々と並べ、各々の日本で管理する音楽出版社の名前が書かれていたことだった。山下氏の正に真骨頂だった。
それから約40年近くがたった今年とんでもないことがおこった。それは昨年末、山下氏がコンサートの入場BGMで流したとんでもなくマニアックでレアなドゥー・ワップがつまったCDRをもらったことに始まる。年末は大掃除のBGMとして、年始は箱根駅伝のテレビ音声代わりにそのCDRを流し続けた。そこにはオールディーズ・マニアを自負する私ですら全く知らない曲ばかりが収録されていたが、皆なぜか懐かしく、口ずさみたくなってしまう。高校生のときに全く知らない曲が収録されたオムニバスに感動したことを思い出した。そしてひらめいた。この曲が入ったオムニバスCDを作ろう。
山下氏から最大のサポートを受けてこのCDRに収録されていたドゥー・ワップを中心においたコンピレーション『ドゥー・ワップ・ナゲッツ』全3枚が8月にリリースの運びとなった。結果この誰も知らない曲満載の異色コンピレーションが、CDが売れない今日にあって信じられない売れ行きを示した。『オン・ザ・ストリート・コーナー』から始まった山下氏のドゥー・ワップ普及活動が多くの愛好者を育み、40年近くの時を経て大きく実を結んだのだった。名もない素晴らしいストリート・コーナー・シンフォニーとその愛好家の皆さんに感謝。おかげで『ドゥー・ワップ・ナゲッツ』は第60回日本レコード大賞企画賞を受賞しました。びっくり!
山下達郎『オン・ザ・ストリート・コーナー』ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
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