2019年03月19日
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2019年03月19日
3月19日はシンガー・ソングライター尾崎亜美の誕生日。
尾崎亜美は京都府京都市の出身。8歳からクラシックピアノを習い始め、中学生のときには、自身が通う衣笠中学校の「衣中音頭」を作詞・作曲したのが真の処女作だという。デビュー前にはやしきたかじんのバックでピアノを弾いた経験もあったそうである。
彼女のデビューは1976年3月20日発売のシングル「冥想」。同年8月5日にはファースト・アルバム『SHADY』を発表し、早くも天才少女と騒がれた。ちなみにデビューの際、本人は本名の「美鈴」でのデビューを臨んでいたそうだが、過去に同じ美鈴名の歌手でプロモートに失敗した経験がある東芝EMIのスタッフから験担ぎ的な意味も含めて説得され、フランス語で友人を意味するami(amie)=亜美、の名で世に出ることになった。おそらくプロモートに失敗した美鈴とは、東芝所属だったやさぐれ演歌系シンガー・太田美鈴のことであろう。
女性シンガー・ソングライターが音楽シーンで注目を集め始めるようになったのは、1970年代初頭のこと。五輪真弓、荒井由実、谷山浩子、小坂明子、高木麻早、りりィなど幾人もの優秀な才能を持った女性たちがシーンに現れはじめていた。76年デビューの尾崎亜美は第2世代にあたり、中島みゆきや山崎ハコ、丸山圭子、庄野真代といった女性シンガー・ソングライターたちとほぼ同時期の登場である。ことに76年は荒井由実がブームになっており、同じ東芝の所属、ファースト・アルバムのアレンジをユーミンと同じ松任谷正隆が手がけていることもあり、尾崎は「ポスト・ユーミン」的に紹介されていた。『SHADY』は鈴木茂、林立夫らティン・パン・アレー関連のメンバーがバッキングを手がけ、コーラスにハイ・ファイ・セットのほか「AMII’S Army」名で山下達郎と吉田美奈子も参加しているので、なるほどユーミン的サウンドとの共通項を感じさせる。何より浮遊感覚溢れるメロディー、永遠の少女性を秘めた詞世界など、ユーミンとの共通項はあるものの、むしろ彼女の音楽のベースとなっているのは、本人曰くバッハとキダ・タローだそう。バッハはアレンジ面での影響も大きく、バロック的な作り方をすることが多いとのこと。一方では関西人の血でもあり、浪速のモーツァルト、キダ・タローのもつキャッチーで諧謔的な音の作り方もまた彼女の根底に流れているのだ。
翌77年2月5日には資生堂春のキャンペーン・ソングとなった「マイ・ピュア・レディ」をリリース。オリコン・シングル・チャートの4位まで上昇する彼女初のヒットとなる。同年6月5日に発売された セカンド・アルバム『MIND DROPS』もまた松任谷正隆編曲で、タイトルの名付け親はユーミン。尾崎亜美は前年末のユーミンのアルバム『14番目の月』にコーラス参加しており、初期はティン・パン・ファミリーとのかかわりも強かった。
ここまでが尾崎亜美の初期と呼べるが、松任谷正隆プロデュースを離れ、オフコースのディレクターとして知られる武藤敏史とともにセルフ・プロデュースを手がけた78年7月5日発売の3作目『STOP MOTION』から、いよいよ尾崎独自の世界が開けていくことになる。驚くべきは全曲を自身の手によって編曲していることで、この時代、女性シンガー・ソングライターでアレンジまで自身が手がける例はほとんどなかった。その契機となったのは、同作にも収録されている「春の予感-I’ve been Mellow-」と「もどかしい夢」で、この2曲はともに、同年1月に南沙織に提供した楽曲のセルフカヴァーである。南沙織の「春の予感」は、同年の資生堂春のキャンペーン・ソングで、前年の「マイ・ピュア・レディ」に続いての尾崎亜美起用となった。この際、尾崎は南沙織の担当ディレクターである酒井政利から「アレンジまでお願いします」と依頼され、さらにストリングスを入れたいというリクエストを受けた。弦アレンジは他人がやるものだと思っていたら「いえ、亜美さんがやります」と言われ、慌てて編曲の本を購入し一夜漬けに近い形で弦アレンジを勉強したという。言うまでもなく、弦のアレンジは各楽器の音域を知らないと作れないが、この点は尾崎自身に音楽的な基礎教養があっての成功といえるだろう。当日、自分の書いたアレンジが彼らのプレイで音となって出てきた際の鳥肌が立つような快感をもって、その後自分でアレンジもやろうと思うようになったと述懐している。
『STOP MOTION』には、ファンの人気も高い名バラード「来夢来人」が収録されている。コーラスに小田和正・鈴木康博と2人時代のオフコースが参加、さらに途中のセリフで、尾崎の「お砂糖、ひとつだったよね?」に対し「うん」とだけ答えているのは寺尾聰である。ほかにも最後の「ラスト・キッス」にはオフコース加入前の松尾一彦がハーモニカで参加しており、武藤人脈が多く参加している。 楽曲も粒揃いとあって、東芝時代を代表する名盤と呼べるが、驚くべきはこの4ヶ月後の11月5日に早くも4作目『PRISMY』を発表している。溢れ出るメロディーをすべて楽曲として制作し続ける、彼女の音楽的才能が全面開花した時期と呼べるだろう。
80年にはキャニオンレコードに移籍。ディレクターは元ランチャーズで、高木麻早や中島みゆきを担当していた渡辺有三。同年9月5日に移籍第一弾となる『MERIDIAN―MELON』を発表。その翌年には7作目『HOTBABY』で、デヴィッド・フォスターに全アレンジを託し、コーラスアレンジはニック・デカロ。スティーヴ・ルカサー、ジェイ・グレイドン、ジェフ・ポーカロらが演奏参加と、ほとんどTOTO+エアプレイ総集合といった異色のロック・アルバムに仕上がっている。渡辺有三と尾崎は、金井夕子や岩崎良美への楽曲提供で既に面識があるが、自身が渡辺のもとで音楽制作をするようになり、それまでの内省的かつ幻想的な少女性から、ファンタジックな部分は残しつつオープンマインドへと変化していった時期と言えるだろう。
ところで、尾崎亜美といえば、アイドルをはじめとする女性シンガーへの提供曲の多さでも知られている。前述の南沙織を筆頭に、岩崎良美「ごめんねDarling」河合奈保子「微風のメロディー」松本伊代「時に愛は」杏里「オリビアを聴きながら」高橋真梨子「あなたの空を翔びたい」桜田淳子「LADY」のん「スケッチブック」などなど、提供曲のほとんどが女性歌手というのも特徴だが、やはり少女的感性と大人の女性の成熟や自立心の両方を持ち合わせ、その2つをグラデーションのように1つの楽曲に溶け込ませる独自の作家性が、女性歌手たちに支持される大きな理由ではないだろうか。
尾崎自身の述懐によれば、数多い提供曲の中でも異色の依頼を受けた作品が3つあるという。1つは松田聖子「天使のウインク」で、若松宗雄ディレクターから「テーマは好きに書いていいが、歌詞の頭はア段で始めてほしい」という依頼。アイドルは明るくないといけないから、明るい印象をもたせるためにア段で、といった若松の持論だったそう。観月ありさのデビュー曲「伝説の少女」の際は、観月が所属していたライジング・プロダクション社長の平哲夫から「1回聴いただけじゃ絶対に覚えられないほど難しい歌にして欲しい」と言われ、「それでいて格好良く、覚えたくなる歌を」との依頼だったそう。そして安達祐実の「胸のリボンを結ぼう」の際には、1オクターブ未満、ドからラまでの6度で書いて欲しいとリクエストされ、それでいて「ドラマチックに」という依頼を受け、転調を駆使しつつ6度半で許してもらったという。そのほかにも金井夕子「パステル・ラヴ 」では、渡辺雄三から「普通の始まり方じゃない入り方をして欲しい」と言われ、同曲と次の「ジャスト・フィーリング」は2度マイナーで始めている。こうした無茶振りともとれる要求にも見事に応える作家としての技術力と、衰えない感性の両面で、自作にも提供曲にも数多くの傑作を残している。何より彼女の楽曲には、女の子を輝かせる魔法が潜んでいるのだ。
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
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