2018年10月16日
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2018年10月16日
「そよ風みたいな女の子」のキャッチフレーズで、1974年に歌手デビューした林寛子。カンコの相性で親しまれ、溌剌としたヴォーカルの魅力をもって、アイドル・シンガーとしても活躍した。本日10月16日は林寛子の誕生日。
林寛子は1959年10月16日、東京都大田区の生まれ。彼女がアイドル歌手として活躍したのは70年代の中盤だが、それ以前の芸歴も長く、幼少期は劇団いろはに所属、1967年、7才のときにNHK連続テレビ小説『旅路』でデビューを果たしている。才気煥発な子役として数多くのテレビドラマに出演、NHKの朝ドラ『繭子ひとり』(71~72年)、大河ドラマ『樅の木は残った』(70年)『春の坂道』(71年)などのほか、初代九重佑三子版のTBS『コメットさん』(67~68年)にも数多くゲスト出演するなど、子役としても引っ張りだこであった。最も名高いのは72年のMBS系『変身忍者 嵐』のカスミ役ではないだろうか。
そんな彼女は1973年に、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』に出場、第1回のグランドチャンピオンに輝き、歌手への道が開けることになる。
ちなみにこの『君こそスターだ!』は、言うまでもなく日本テレビの『スター誕生!』を思い切り意識した番組で、放送時間も『スタ誕』の直前、日曜朝10時からの放送と、かなり露骨な番組作りであった(フジテレビはその後もTBS『ザ・ベストテン』が高視聴率を記録すると『ビッグベストテン』なるランキング番組を即座に始めたり、ということもあった)。子役時代から人気のあった林寛子が第1回の優勝者というのも、出来すぎた話かもしれないが、それだけ彼女が確実に売れるタレント性を擁していたからに他ならないだろう。デビュー前から林寛子への期待はかなり大きかったのだ。
74年3月25日発売、キャニオンレコードからのデビュー曲「ほほえみ」は、同番組審査員の鈴木邦彦が作曲を手がけた、マイナー調のややノスタルジックな歌謡ポップス。甘い声でアイドルらしい歌唱法だが、音程やリズム感はしっかりしており、途中、サビでメジャーに転調し、スタッカートも用いてポップな感覚とドメスティックな哀愁風味を両立させている、いわば「プロの仕事」である。オリコン最高33位とまずまずの滑り出しであった。
だが、林寛子のイメージ作りにおいて最重要人物と言えば、作詞の千家和也である。「ほほえみ」と2作目「昼下がりの夢」はまだオーソドックスでおとなしめのアイドルポップスの詞であったが、74年9月25日発売のシングル3作目「仮病が上手な男の子」で、その本領を発揮し始める。大事な場面ではぐらかす男の子はずるい、キスをせがんでも歯が痛いとか熱があるといって逃げるんだから、と具体例を紹介しつつでもそんな彼が好き、といった内容で、あれ、このタイプの歌はどこかで聞いたことがあるぞ、と思う方もいらっしゃるだろう。そう、同じ千家和也のキャンディーズ「年下の男の子」によく似た設定である。「年下の男の子」は1975年2月21日発売なので、「仮病が~」はつまりは「年下~」のプロトタイプ的な作品なのである。もっと遡れば73年7月5日発売の麻丘めぐみの大ヒット「わたしの彼は左きき」にも詞の構成がよく似ている。つまり、これは千家和也が女性アイドルに提供する際の得意パターンの1つなのだ。だが「仮病が~」は、女性の側が行動的で男性がややいくじなし、といった時代的には新しいタイプの男女関係を歌っているのが新鮮で、その後の「年下の男の子」「内気なあいつ」と続く一連のキャンディーズ路線の先駆けでもある。千家は同時期に山口百恵に「青い果実」や「ひと夏の経験」といったいわゆる性典路線の詞も手がけているので、職業作詞家の使い分けの見事さに唸ってしまう。
林寛子で「行動的な女の子像」を開拓した千家和也は、その後2作を挟んで75年9月10日の第6弾「素敵なラブリーボーイ」で、彼女のさらなる魅力を開花させた。作曲は鈴木邦彦から穂口雄右に交替し、この組み合わせはまんま「年下の男の子」チームである。「私を自由にできる特別な男の子」というのは、ヒロインの思想に百恵的な要素も加わっており、さらに「ヘイヘイ、キスキスミー」という詞は穂口のロックンロール・スタイルの楽曲を意識したもので、それまでおっとりとしたイメージの林寛子がパンチのあるヴォーカル・スタイルを手に入れ、初めてポップに弾けたのだ。オリコン最高31位と彼女の最大のヒット曲となり、82年の小泉今日子のカヴァーでもよく知られる楽曲となった。
さらにシングル第7弾「カモン・ベイビー」では、千家=穂口コンビは変わらないが編曲に竜崎孝路が起用され、オールドロックンロールのスタイルを更に突き詰めたスタイルになっている。林寛子のヴォーカルも、クルッと語尾がひっくり返るアイドル歌唱を残しつつ、後半のサビで弘田三枝子ばりにファンキーな「うなり」を入れてさらなる進化をみせている。70年代の、ロックンロールと黒っぽさを混ぜた女性アイドル・シンガーは、この74-75年頃に何人か現れており、具体的にはしのづかまゆみ(後の作詞家・篠塚満由美)、石江理世(後にギャルを結成)、青木美冴(のちにヴォーカルトレーナーとして活躍)などがいるが、「カモン・ベイビー」の林寛子もここに加えていいだろう。というより、実は子役時代から培われた芸歴の長さゆえか、どんな曲にでも対応できるパフォーマンスの高さの結果であるのかもしれない。このアクティブな女の子路線は76年8月10日の「気になるあいつ!」まで続き、阿久悠=大野克夫を迎えた77年1月25日の「私がブルーに染まるとき」で大人路線にシフトする。だが、歌手・林寛子といえばパンチの利いたヴォーカルと積極的な女の子というイメージは多くの人々の中に強く焼き付いた。
その後はテレビの毒舌バラエティタレントとして活躍、政治参加した時期もあったり、はたまたずうとるびの江藤博利とのデュエットソングを発表したり、大場久美子と「キングオブコント2014」に参加したりと、今も変わらずアグレッシヴに活躍しているが、こういった彼女のパワフルなキャラクターは、アイドル時代の溌剌ぶりを思い出させ、ちょっと懐かしい気持ちにさせてくれる。彼女は今もパンチがあって積極的な女の子なのだ。
林寛子「仮病が上手な男の子」ジャケット提供:ポニーキャニオン
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林寛子「ほほえみ」「素敵なラブリーボーイ」「カモン・ベイビー」「私がブルーに染まるとき」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)がある。
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