2019年05月10日
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2019年05月10日
75年4月18日、遂に日本上陸を果たしたクイーンを待っていたのは、空港を埋め尽くした3,000人にも及ぶファンだった。翌19日にツアーは日本武道館で開幕、「プロセッション」をSEに幕が開いたショウのオープニングを飾ったのがアルバム『シアー・ハート・アタック』のA面最後に収められたナンバー「誘惑のロックン・ロール」であり、彼らが日本を去った後に「誘惑のロックン・ロール」は日本でもシングル・カットされ、75年5月10日にオリコン7位の大ヒットを記録するのである。
73年7月6日、クイーンはシングル「炎のロックン・ロール」で英国デビューを果たしたが、それはティム・スタッフェルを中心とした前身バンド〈スマイル〉が69年9月にデビュー・シングルをリリースしてから4年近くの歳月が経ってのことだった。同月13日には同じく英国でアルバム『戦慄の王女』がリリース。それはロンドンのソーホーにあったトライデント・スタジオの契約第一弾アーティストとしてスタジオ技術の粋を結集したものだったが、それが聴衆に理解されたとはいえず、決して〈鮮烈のデビュー〉と呼べるものではなかった。
前作から約8ヵ月後の74年3月8日、アナログLPのA面がブライアン・メイ、B面がフレディ・マーキュリー主導によるコンセプチュアルなセカンド・アルバム『クイーンⅡ』が英本国でリリースされ、英本国ではじわじわと高い音楽性に注目が集まるようになったが、その一方で同時期にデビューしたバッド・カンパニーと比較され、〈クイーンは本物ではない〉などという厳しい批評も浴びせられていたという。しかし、日本ではミュージック・ライフに代表される当時の雑誌メディアが好意的、積極的に評価、着実にファンを増やしていった。それが決定的となったのが、前作から約半年後の74年11月8日に3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』が英国でリリースされてからで、特に日本では第一弾シングルとなった「キラー・クイーン」が爆発的ヒットとなり人気は遂に本国をも超えるものとなったのである。
このヒットを受け、クイーンの初来日公演が決定。チケットは発売されるや即完売したが、当のクイーンは北米ツアーで様々なトラブルが噴出、さらにはフレディが喉を痛めるという致命的な問題を抱えていた。結局北米ツアーでは幾つかの公演をキャンセルせねばならず、日本に上陸する時点でバンドは決して万全と言える状態ではなかった。しかし、空港を埋め尽くしたファン、しかもその殆どが女性という驚きのシーンを彼らは目の当たりにすることになる。この様子は当時様々なメディアで取り上げられ、それが日本でのクイーン人気をさらに加熱させることになったことは間違いない。なにより、クイーン自身が初めて訪れる極東の島国でこれほどの熱い歓迎を受けるとは想像しておらず、それが大きな力となったことは容易に想像がつく。
これらはすべて「ボヘミアン・ラプソディ」がリリースされる前の話だ。この曲はクイーンに初の〈1位〉の栄冠をもたらせたが、クイーンの成功物語はその前にすでに始まっていた。あまりの女性ファンの多さから、一部男性ファンから敬遠されることもあったようだが、それも昔の話。今や「誘惑のロックン・ロール」は「ナウ・アイム・ヒア」というカナ表記に改められオリジナルの邦題は失われてしまったが(「炎のロックン・ロール」も現在は「キープ・ユアセルフ・アライヴ」というカナ表記に改められている)、当時を知るファンにとっては忘れられない響きに違いない。なにより、この曲こそがクイーンが日本で最初に演奏した曲なのだ。このシングルはショウを体験したファンにとって、きっと忘れられない1枚であり続けるはずだ。
クイーン「炎のロックン・ロール」「キラー・クイーン」「誘惑のロックン・ロール」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
犬伏功(いぬぶし・いさお):67年大阪生まれ。音楽文筆家/グラフィック・デザイナー。60年代英国ポップ・ミュージックを中心に雑誌・ライナーノーツなど幅広く執筆、リイシュー監修等も積極的に行っている。地元大阪では音楽トークイベント『犬伏功のMusic Linernotes』も隔月開催している。
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