2019年05月08日
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2019年05月08日
日本テレビ系で放映された『飛び出せ!青春』のテーマソングとして、青い三角定規が歌う「太陽がくれた季節」がシングル・リリースされたのは、ドラマがスタートして5日後の1972年2月25日のこと。ドラマが評判を呼ぶにつれて主題歌のレコードも売り上げを伸ばし、5月8日付のオリコンチャートで遂に1位を獲得する大ヒットとなる。今から47年前のことであった。その後は教科書に掲載されるまでのスタンダードソングとなり、現在に至るまでずっと愛聴され続けている、彼らの代表作にして最大ヒットとなったミリオンセラー。解散後はメイン・ヴォーカルの西口久美子によってソロで歌われる機会が多い。
青い三角定規は、西口久美子、高田真理、岩久茂の3人で、作曲家・いずみたくプロデュースの下、1971年に結成され、同年11月に「翼を忘れた天使たち」で日本コロムビアからデビューした。ヒデとロザンナやチェリッシュといった男女デュオが活躍していた当時(チェリッシュは72年に5人組から2人に)、男女の3人組というのはフォーク・グループならではの編成で、お手本はピーター、ポール&マリー辺りであっただろうか。しかしながら彼らのレパートリーに歌謡ポップス寄りのナンバーが多かったのは、歌謡とフォークのエッセンスを兼ね備えた作風のいずみたくプロデュースだったことで納得させられる。コロムビアの辣腕ディレクター・東元晃と渥美章が始めた、通常の歌謡曲とは一線を画したポピュラーソング専門の“P”の品番に彼らも帰属した。弘田三枝子「渚のうわさ」からスタートし、ちあきなおみ、ヒデとロザンナ、ジュディ・オング、平山三紀らに連なるラインナップであった。
「太陽がくれた季節」が主題歌となったドラマ『飛び出せ!青春』は、1965年の『青春とはなんだ』から始まった日本テレビ青春学園ドラマシリーズの最高傑作といわれる。シリーズの音楽はずっといずみたくが担当しており、歴代の主題歌となった布施明「若い明日」「これが青春だ」「でっかい青春」、浜畑賢吉「進め!青春」と、60年代の作品はいずれも岩谷時子×いずみたくのコンビが手がけてきたが、70年代を迎えた後の「太陽がくれた季節」は作詞が山川啓介に委ねられ、また新たな青春群像が描かれた。ドラマのエンディングに決まって流され、シングルのカップリングに収録された「青春の旅」も、主題歌に勝るとも劣らない名曲として人気が高い。編曲を担当した松岡直也は後にフュージョン界で大活躍を遂げる。ドラマの主演に抜擢された村野武範は文学座のホープで、前年に映画『八月の濡れた砂』で脚光を浴びた後に人気を不動のものとするなど、関係者の多くをブレイクに導いた作品である。青い三角定規も一気に名を馳せて、「太陽がくれた季節」がまだヒット中だった6月に出された3枚目のシングル「素足の世代」は、いずみたくが音楽を担当した東宝の青春映画『さえてるやつら』のテーマソングに起用された。映画の公開が翌年にずれ込んでしまったが、そうでなければもっとヒットしていたに違いない。
その後も72年から73年にかけて、シングルは「勲章なんかほしくない」「夏に来た娘」「ぼくらの船出」をリリース。アルバムも72年に3枚(内1枚はライヴ)出され、ファーストの『太陽がくれた季節/素足の世代』では、オリジナルのほか「太陽のあいつ」や「結婚しようよ」のカヴァー、セカンドの『君と僕らと青春を/勲章なんかほしくない』では「若者たち」や「戦争を知らない子供たち」を歌い、「これが青春だ」もカヴァーするなど、興味深い選曲が見られる。レコード大賞新人賞や紅白歌合戦出場など輝かしい栄誉を手にしながらも、73年には早くもグループを解散してしまったのが惜しまれる。74年には、まだ高校生だった山尾百合子と、双子高橋浄と高橋亘の3人で新「青い三角定規」が結成され、岩谷時子の作詞、いずみたくの作曲による「愛のテスト中」をリリースしたが、残念ながらヒットには至らず。もう一枚「明日がいっぱい」を出した後、やはり短期間で活動を終えることとなった。本家の方は2006年に高田が亡くなった後、2008年に西口と岩久で再結成され、並行して西口のソロ活動も続いている。「太陽がくれた季節」あらばこそ、である。
青い三角定規「太陽がくれた季節」「素足の世代」「勲章なんかほしくない」「ぼくらの船出」ジャケット撮影協力鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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