2018年09月19日
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2018年09月19日
小学校時代以来の親友どうしだからこそなのか、険悪な仲違いもし、一方では深い友情も保ち続ける。1970年の初頭にリリースされた『明日に架ける橋』がメガ・ヒットを記録するなか、サイモン&ガーファンクルの解散は公然の事実となり、間もなくポール・サイモン、アート・ガーファンクルのそれぞれがソロ・アクトとなってキャリアを重ねていった。70年代半ばには一度限りの再編シングル「マイ・リトル・タウン」が発売され、互いのソロ・アルバムに収められるということもあったし、同じころ、人気TVバラエティ『サタデイ・ナイト・ライヴ』で二人の共演が実現するというサプライズもあった。しかし依然としてサイモン&ガーファンクルは“解散”したままだったし、大半の音楽ファンがこの稀代のデュオの復活がありえないことを十分認識していた。
そんな中でサイモン&ガーファンクルのリユニオン・コンサートが奇跡的に実現したのは、1981年9月19日のこと。今から37年前のビッグ・イベントだ。マンハッタン中央部、セントラル・パークでの野外フリー・コンサート。二人が生まれ育ち、彼らの歌のテーマや背景として幾度となく描かれたニューヨーク市の財政難を援助するという目的だった。入場は無料だが、100万ドルを超えるグッズの売り上げはすべて市当局に寄付され、セントラル・パークの整備・管理費に充てられた。朝からの悪天候のなか、たった一夜の公演に集まった聴衆は50万人。あのウッドストック・フェスティヴァルを超えていた。彼らの再編がいかに待ち望まれていたかがよくわかる、驚異的な動員だ。
かつての基本的なフォーメイションだった二人の歌とポール・サイモンのギター伴奏でなく、リチャード・ティーやスティーヴ・ガッドらを含む強力リズム・セクションに、4管のホーン・セクションもまじえた編成。「ミセス・ロビンソン」に始まる代表的なS&Gレパートリーに、二人それぞれのソロ作から選曲したセットリスト。曲ごとにイントロから拍手と歓声が湧き、歌詞がニューヨークに言及する箇所ではさらに波打つような反応がある。パフォーマーと聴衆、ともにニューヨーク・レジデントならではの共振だった。演目には二人の原点となるエヴァリー・ブラザーズやチャック・ベリーのナンバーもまじえ、アンコールの「サウンド・オブ・サイレンス」を二人だけの演奏でしめくくった。
この模様はLP2枚組にほぼフルセットが収録され、翌82年2月に『セントラル・パーク・コンサート』として発売、全世界でアルバム・チャートの上位にランクされた。同時にTVでも放映され(のちにビデオ化、DVD化もされた)、再編ツアーの機運が高まるとともに、同年5月、ついに大阪(大阪球場)と東京(後楽園球場)から始まるワールド・ツアーへと発展した。もちろん音楽シーン最大級の注目を集めたことは言うまでもない。
彼らが特別なのは、単にヒット曲を多く放ったスーパースターという理由だけではない。「預言者の言葉は地下鉄の壁に書かれている」「僕の声は静に降る雨のように、沈黙の井戸にこだまする」(「サウンド・オブ・サイレンス」より)といった、極めて内省的で詩的な表現をポップ・ミュージックにいち早く持ち込んだのが彼らだった。そのアーティスティックなたたずまいを貫いたサイモン&ガーファンクル。70年代初頭のシンガー・ソングライター時代よりも、何年も前のことだ。多くの音楽ファンが、彼らの音楽にポップ・ミュージックのあるべき姿を見ていたということである。
その後、何度かの再編ツアーはあったが、決して“再結成”はしなかったサイモン&ガーファンクル。ちょうどこの文が掲載されるころ、ポール・サイモンは公演活動からの引退を宣言して継続中の“最後のツアー”を終えようとしている。ガーファンクルとの共演はもう叶わぬ夢となったのかも知れないが、そんな一抹の淋しさとともに思い出すのは、やはり81年9月19日の“セントラル・パーク・コンサート”だ。ロック/ポップ史における夢のような1ページだった。
≪著者略歴≫
宇田和弘(うだ・かずひろ):1952年生まれ。音楽評論家、雑誌編集、青山学院大学非常勤講師、趣味のギター歴は半世紀超…といろんなことやってますが、早い話が年金生活者。60年代音楽を過剰摂取の末、蛇の道に。米国ルーツ系音楽が主な守備範囲。
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