2019年05月22日

1967年5月22日、ザ・モンキーズ『ヘッドクォーターズ』がリリース~「悲劇の1枚」と言われるワケ

執筆者:丸芽志悟

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1967年5月は、米国ロック/ポップス界にとってまさに「嵐の前の静けさ」月間だった。翌月開催された『モンタレー・ポップ・フェスティヴァル』が「ロック革命」の夜明けを告げ、ジミ・ヘンドリックスを筆頭とするニュー・ヒーロー、ヒロインを世界に紹介した。そう、あの「サマー・オブ・ラヴ」の序章である。その傍らで、前年からブライアン・ウィルソンが黙々と制作に打ち込んでいたアルバム『スマイル』が、そのキャパシティが作り手の処理能力を遥かに超え、正式に「制作中止」とアナウンスされたのもこの月のことだ。

そして、『スマイル』と異なり実際発売されたものの、この革新的空気に飲み込まれロック史に黙殺されてしまった1枚のアルバムがある。ザ・モンキーズの3枚目のアルバム『ヘッドクォーターズ』だ。1967年の今日5月22日、米国のレコード店に並んでいる(地区により多少誤差あり)。今振り返ってみると、このアルバムの運命は一つのドラマだ。それこそ、TVショウのために集められたバンドに相応しい。


前年9月12日にTVシリーズ『ザ・モンキーズ』が米国で放映開始以来、モンキーズの勢いは誰にも止められなかった。テレビの力は、益々シリアスモードに傾くビートルズからポップ・アイドルの王冠を奪うだけの勢いを彼らに与えたが、革命に向けて突き進む新世代のロック文化理解者は、「作られたバンド」とのイメージが明白すぎる彼らにまともに取り合うわけがなかった。実際、最初の2枚のアルバムで聴かれる演奏の殆どは、プロデューサーが組織したセッション・ミュージシャン集団によるものだったのだ。無理もない。TVシリーズのため、とにかく沢山の曲が必要とされていたのだ。そのタスクをこなすためには、高度な楽曲群に難なく取り組める熟練者に頼るしかなかったのだ。


最初の2枚のアルバムでも一応、数曲だけ「プロデューサー」を務めていたマイク・ネスミスを筆頭に、そんな状況に幻滅しつつあったモンキーズのメンバーは、遂に反逆の狼煙をあげる。

ファースト・シーズンの撮影が終了した1967年1月、音楽スーパーヴァイザーという称号を得ていた業界の重鎮、ドン・カーシュナーとのミーティングでマイクは遂にブチ切れ、ホテルの壁を拳で突き破った。そして、自ら元MFQのメンバー、チップ・ダグラスをプロデューサーとして指名し、カーシュナー陣営を無視してサード・アルバムの制作に入ったのが2月のことである。


前2作のためにレコーディングされつつ、日の目を見ることがなかった数曲のリメイクもあったが、楽曲の多くはマイクを中心にメンバーが自ら作ったり、メンバーの意向により外部作曲家から提供されたものであった。前2作では部分的にギターを弾いたに過ぎなかったピーター・トークは、ギターとキーボードで演奏の多くに貢献。地道にドラムのトレーニングを重ねていたミッキー・ドレンツも全編で叩きまくっている。ベースはプロデューサーのチップや同じく元MFQのジェリー・イエスターの助けを借り、チェロとフレンチ・ホルンに外部ミュージシャンを起用した以外は、全てモンキーズ自身が演奏し、白熱したレコーディングが展開された。3月、カーシュナーの独断でリリースされかけた3枚目のシングル「恋はちょっぴり」を巡る騒動により、カーシュナーは左遷され、同作のB面がマイク作による「どこかで知った娘」に差し替えられ正式に発売。この曲が、「僕らだけでもできるよ」の最初の兆候となり、B面ながら全米チャート39位までランクを伸ばした。


3月28日、レコーディング終了。「恋はちょっぴり」をアルバムに収録するという案は当然のように却下され、結局アルバムのラインナップにはシングル曲が1曲も含まれないという異例の事態となった。TVシリーズのファースト・シーズンで数回歌われたことがある「君はひとりぼっち」が辛うじておなじみの曲、という程度だった。前年11月に撮影された写真を採用したジャケットだけが、従来のイメージを保持する役割を果たしていた。

ともあれ、表面的にはモンキーズの勢いは止まらないと見えていた時期である。前年11月12日から31週間に渡り、ビルボード・アルバムズ・チャートのトップを2枚のアルバムでひた走っていた彼らは、1週だけハーブ・アルパート&ティファナ・ブラスにその座を譲るものの、『ヘッドクォーターズ』で楽々王冠を奪回する。


確かに、地味なアルバムかもしれない。堅実ながら派手さを欠いた演奏は、前2作の完璧なポップ・ミュージックとは別世界だったし、所々危なっかしいところがあるのも否めない。しかし、これこそがモンキーズの音楽だという自己主張が、そこここから漂ってくる。特にデイビー・ジョーンズをフィーチャーしたバラード「灰色の影」は、悲愴感に溢れた歌詞といい、ピーターが演奏とヴォーカルで醸し出す真剣さといい、モンキーズ屈指の大傑作の一つ。ミッキーが英国詣でをテーマに書き上げた「ランディ・スカウス・ギット」も、シリアスさとコミカルさが絶妙に同居した聴きものだ。同曲はタイトルがリヴァプール発祥の下卑た表現ということで「オルターネイト・タイトル」("別題"!)と改題され英国で独自にシングル・カット、大ヒットを記録している。

この時期、TVシリーズは9月から放映が始まるセカンド・シーズンに向けて充電中で、ファースト・シーズンのエピソードの再放映が行われていたが、カーシュナー政権の下で作られた初期楽曲の多くを『ヘッドクォーターズ』の曲に差し替える処置が取られており、これも有効なプロモーションになっている。日本で10月放映開始された際にベースとなったのも、これら差し替え版エピソードである。


悲劇はここからである。

またまた独走状態が始まるかと思われた『ヘッドクォーターズ』の勢いは、たった1週で途絶えた。無理もない。そこに立ちはだかったのは、他でもないザ・ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だった。「ロック革命」を先導するペパー軍曹の天下の横で、11週2位に留まってはいたものの、自己主張するモンキーズがまともに取り合ってもらえるはずがない。結局、次のアルバム『スター・コレクター』では、ドラムにセッションマンの大御所エディ・ホーを迎え、サイケや電子音楽のエッセンスを取り入れつつ、体制立て直しに向かうことになる。皮肉にも、保守的という理由で『スター・コレクター』から外され、結局不朽の大ヒット曲になったのが、かの「デイドリーム・ビリーバー」だ。

2000年には、このアルバムの制作一部始終を記録したCD3枚組『Headquarters Sessions』が限定リリースされ、モンキーズの孤軍奮闘振りもやっと世に認められることとなったが、激動の1967年ロック界を語る時は、どうしても「悲劇の1枚」という称号が未だ拭えない。


最後に傑作なオチを。TVシリーズのセカンド・シーズン第1回放映となった「ファイト・イン・メキシコ」の終盤、ミッキーと悪党が派手な撃ち合いを展開するシーン。よくよく見ると、デイビーの腕に抱えられているのは、なんと『サージェント~』ではありませんか。弾除けとして使おうとしたのだろうか。ちなみに同エピソードの撮影は6月2日から8日にかけて行われている。発売1週間以内に手にしていたということだ。ついでだが、「ランディ・スカウス・ギット」に登場する"Four kings of EMI"とは、当然「あの4人」のことである。実際マイクとミッキーは、アルバム制作が始まる前にプロモーションで渡英した際、『サージェント~』制作現場のEMIスタジオを何度か訪問しているのだ。


≪著者略歴≫

丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の3タイトルが発売、10月25日にはその続編として新たに2タイトルが発売された。

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