2019年06月28日
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2019年06月28日
猛烈な台風が東京で暴れていた。
「こんな天気じゃ店ヒマだから、飲みにおいで」
電話の主はポニーキャニオンでデスクをやっていたT女史。彼女の母上が切り盛りしていたその店は、中野ブロードウェイからすぐの路地裏にあった。
東中野の僕のアパートから歩いて15分ほど。月に数回飲みに行く馴染みの店である。
「じゃぁ、ちょこっと顔出します」
「気を付けて来てよ~」
吹きすさぶ風と横殴りの雨。案の定、街は閑散として人影がない。
舗道をふさぐ街路樹の折れた枝や、クラゲのようなビニール傘や、ゴロゴロと転げまわる青いポリバケツ。普段は息をひそめている脇役たちが、人間の代わりに嵐の街を牛耳っている。
奴らに気取られないように雨具で顔を隠し、やっとの思いで中野北口アーケードにたどり着く。フードを上げ、一息ついてから、件の路地へと右に折れた。
歩を進めてふと目を上げると、誰かがこちらへ向かってくる。長さ50メートルほどの暗い路地の向こうから、コツコツとやってくる影がある。
向かい風がその髪の毛をメドゥーサみたいに舞い上げる。
焼肉屋の黄色い電飾が虫になってチリチリ泣く。スポーツ新聞が枯れ草になって足元を踊ってゆく。
昔見た西部劇の決闘シーンを思い出しながら、風に背中を押されて、こちらもゆっくり進んでゆく。
10メートルほどに近づいて、影は若い女の娘だとわかった。
嵐の夜には不向きなハイヒールのブーツとミニスカート。フェイクファーのポケットに両手を突っ込んだ丸い背中。浅黒い顔の色は、西部劇で言うと、悪役のメキシカンのようだった。
僕とその女の娘はすれ違うことなく、同じ店へ吸い込まれた。彼女もまたT女史に呼びだされたクチだったのだ。
「この子、高校生なんだけどさぁ、歌手になりたいんだって」
「へぇそうなんだ。どんな音楽が好きなの?」
「フュージョン」
「フュージョンだと、どんなバンドが好きなの?」
「サザンオールスターズ」
「…」
とりあえず歌を聴かせてよ、と、店のカラオケセットに火を入れた。杏里の「悲しみがとまらない」。
I Can’t Stop The Loneliness、と、しゃがれ声で歌い出したところで、彼女の耳に大声で叫んだ。
「オマエ、俺とロックやんない?」
「え?ロックってなに?」
「聴いてみてよ」
その日の深夜、ロックンロールのレコードを数枚、彼女のアパートへ届けた。彼女の部屋も東中野だった。
数日後、違うのも聴いてみたいんだけど、と連絡があった。
レコードを抱えて会いに行った。
先日の台風が嘘のように秋の空が青く広がっている。線路沿いのアパートへ煙草をくわえて歩く。緑の土手の下、中央線のオレンジが総武線の黄色を追い抜いてゆく。
どっちの生き方がよかんべえね。
哲学したくなって、もう一本火をつける。土手のフェンスにもたれ掛かると、まだ少し夏草の匂いがした。
中村あゆみ、か。
面白い、かも、な。
嵐の夜の出会いは、その数年後、僕とあゆみの人生に大きな喜びをもたらした。「翼の折れたエンジェル」のヒットで、音楽で生きてゆく自信を少しだけ持つことができた。
ドラマティックとか劇的とか、人はよく口にするけれど、あんな始まり、僕には二度と訪れないだろう。
台風が来るたび、中野を歩くたび、西部劇を見るたび、「悲しみがとまらない」を聴くたび、中央線が総武線を追い抜くのを見るたび、
僕はほんの少しだけ、初心に帰ることができるのだ。
中村あゆみ「Midnight Kids」「翼の折れたエンジェル」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
高橋 研(たかはし・けん):1979年キャニオンレコードより『懐かしの4号線』でデビュー、以降2枚のアルバムをリリースしライブ活動に励む一方、元来興味を持っていた映画にも参加。しかし1981年のsg『さよならロンリネス』を最後に歌うことをやめて、約2年間、レコード会社の宣伝マンとして過ごす。その後徐々に楽曲づくりを再開し、1983年アルフィーの『メリーアン』の高見沢俊彦氏との共同作詞を皮きりに作詞・作曲家として作品提供を始める。その後中村あゆみ、川村かおり、加藤いづみをはじめ 数多くのアルバム・プロデュースに加え多彩なアーテイストに楽曲を提供し、シンガーソングライター及びプロデューサーとして独自のスタンスでの活動を続けている。
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