2017年11月16日
スポンサーリンク
2017年11月16日
先日、歌手の亀渕友香さんが亡くなったという悲報に、ふと、思い出したのが、来生たかおのことだ。彼が、姉のえつことコンビで書いてレコード化された最初の作品が、確か、亀渕さんの「酔いどれ天使のポルカ」ではなかったかと。1974年、彼女がリッキー&960ポンドを解散後、初めて発表したソロ・アルバム『Touch, Me Yuka』に収録された。
来生たかおが、いわゆるシンガー・ソングライターとしてデビューするのは、その2年後の1976年のことだった。井上陽水、小椋佳に続く期待の新人というか、都会の風景を彩る新たな才気と、大きな期待を託されてのデビューだった。ただし、そう簡単に、世の光を浴びるというわけにはいかなかった。
1950年11月16日、東京大田区大森の生まれだ。以来、杉並を経て駒込と移ったりもしたが、東京を離れたことがない。つまり、根っからの東京人だが、23区というよりは、郊外にあたる北多摩地区で暮らし続けて50年以上になるらしい。幼い頃の思い出として、井上ひろしの「雨に咲く花」に胸をときめかしていたというから、なかなか早熟な子供だったのかもしれないし、あるいは、ぼく自身の記憶を辿ってみると、昭和20年代生まれの当時の子供たちは、自然にこういう歌謡曲に馴染んでいたと言えるかもしれない。
ビートルズの武道館公演にも、足を運んだ。ただし、曲を書くことに目覚めたのは、ビートルズではなく、弾厚作、つまり加山雄三の「君のスープを」がきっかけだった。姉えつこの部屋で見つけた彼女の散文の中から、「サラリーマン」という名の言葉たちに曲をつけた。それが、スタートとなる。それと、ビートルズの「レット・イット・ビー」に刺激され、ピアノを弾くようになったのが、決定的だった。
渋谷に、RCサクセションや古井戸や泉谷しげるなど若い才気の登竜門として、「青い森」という音楽喫茶のお店があった。そこに出演していたときのことだ。アンドレ・カンドレと名乗っていた井上陽水と一緒になり、ピアノを弾いてくれないかと頼まれる。それが、この道を本格的に歩き始める一歩となった。
それでも、容易にことは運ばず、稀代のメロディー・メイカーにも、デモ・テープをレコード会社に持ち込む日々が続いた。唯一認められたのが、「酔いどれ天使のポルカ」だった。この歌は、後に来生本人も、「ジグザグ~酔いどれ天使~」のタイトルでレコード化している。
来生たかおの名前が一躍知られるようになるのは、やはり、1981年、薬師丸ひろ子が、同名映画の主題歌として歌った「セーラー服と機関銃」の作者としてであり、彼自身が歌った異名同曲「夢の途中」のヒットだろう。もともと、力のある人だったから、たちまち、才覚を表す。大橋純子の「シルエット・ロマンス」、中森明菜の「スローモーション」や「セカンド・ラヴ」等々を含めて、数多くのヒット・ソングを他のシンガーに提供し、その名を知られることにもなる。
もちろん、デビュー・シングルの「浅い夢」からして、都会的というか、海外のポップスとの出会いから生まれた洒落たみずみずしさと、同時に、何処か懐かしいようなところを内包していて、それまでの日本のポップスには珍しい新味を放った。海外のポップスから吸収したであろう複雑で、美しいメロディー、ただしそこには、ときめきと寄り添う形でなんとも言えない物悲しさが沈んでいて、それが、歌の中から少しずつ滲みでてくる。昭和という時代そのものの光と影とを、彼の音楽は抱え込んでいるのかもしれないと、ぼくが思えるようになったのは、随分後になってからだ。
そう言えば、40周年記念アルバム『夢のあとさき』を発表し、しばらく充電期間を置いたが、そろそろ、再開の準備も始めたらしい。おそらく、随分と増えた白髪をかきあげながら、無造作にピアノに向かっていることだろう。そこには、頑なに吸い続ける煙草と、コーヒーが用意されているはずだ。そして、その姿に、幼稚園に入ることになったとき、門を前にして、どうして母親から引き離され、幼稚園に行かなければならないのかと、泣きじゃくっていた幼い子供の姿が重なる。ひょっとすると来生たかおという人は、その頃から余り変わってはいないのかもしれない、と思ったりもする。
≪著者略歴≫
天辰保文(あまたつ・やすふみ):音楽評論家。音楽雑誌の編集を経て、ロックを中心に評論活動を行っている。北海道新聞、毎日新聞他、雑誌、webマガジン等々に寄稿、著書に『ゴールド・ラッシュのあとで』、『音が聞こえる』、『スーパースターの時代』等がある。
1984年5月16日、薬師丸ひろ子のシングル3作目となる「メイン・テーマ」がリリースされた。オリコン・シングル・チャートでは惜しくも最高2位、デビュー作「セーラー服と機関銃」2作目「探偵物語」に...
映画『野性の証明』の主題歌「戦士の休息」で、30万枚以上のセールス(累計85万枚とも言われている)を記録し、オリコン最高位6位にランク。町田の歌手キャリアの中で最大のヒットとなった。伝説の男・町...
映画『人間の証明』(1977)の音楽は、『犬神家の一族』に続き、作曲家:大野雄二が担当している。1977年の大野雄二といえば、今なお新シリーズが作られ続けているテレビアニメ『ルパン三世(第2シリ...
日本映画の歴史を大きく変えた角川映画の記念すべき第1作『犬神家の一族』は1976年に公開され、全国的な大ヒットとなる。主題曲「愛のバラード」は、インストとしては異例の売り上げを示したのだが、その...
角川映画第一作『犬神家の一族』(1976年 10月公開)では、それまでに掴んでいた「テレビ/映画と原作本とのタイアップ販売」、「横溝正史を軸としたエンターテインメント路線」という糸口を、横溝作品...
角川映画第4作『野性の証明』(1978年10月公開)は、1978年度の邦画配給収入で第1位、『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』など並み居る強敵を含めた全体ランキングでも第4位となる大ヒットと...
1977年10月8日に公開された角川映画『人間の証明』は、配給収入22億5000万円というこの年の興行ベストテン第2位にランクされる大ヒットを記録。本編の中で黒人青年役を演じたジョー山中が歌う主...
80年代の角川映画の地位を絶対的なものにしたのは「角川三人娘」の存在である。81年に『セーラー服と機関銃』が公開されると、主演の薬師丸ひろ子の人気は大ブレイクした。そしてポストひろこを作り出すべ...
オールスターキャストの大作とアイドル主演作を中心にヒットを連発し、日本映画の歴史を大きく変えた角川映画が誕生してから既に40年以上が経つ。映画と連動した角川文庫のキャンペーンは出版界にも好況を及...
本日11月28日は、原田知世の誕生日。あの「時をかける少女」が、今日で50歳を迎えるなんてと、時の流れに思いきり切なくなりそうだけど、現在の彼女を前にすると数字なんていかに無意味かを思い知らされ...
来生たかおの名前が一躍知られるようになるのは、1981年、薬師丸ひろ子が、同名映画の主題歌として歌った「セーラー服と機関銃」の作者としてであり、彼自身が歌った異名同曲「夢の途中」のヒットだろう。...
1981年の12月21日、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」がオリコン・チャートの1位を獲得した。同年11月21日にキティ・レコードから発売された薬師丸のデビュー曲であり、彼女が主演した同名映画...
今から43年前(1972年)の今日リリースされた井上陽水のアルバム『断絶』。1969年に「アンドレ・カンドル」の芸名でデビュー以来3枚のシングルをリリースしながらも鳴かず飛ばずだった彼が、レコー...