2015年06月03日

もしも小野リサが日本語で歌っていたら

執筆者:宮田茂樹

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アーティストのデビューにあたってボタンの掛け違えをしてしまうと、全く違うストーリー&ヒストリーになってしまうものです。
今回は危いところで大失敗を逃れた小咄をしてみたいと思います。


もう四半世紀以上も前のことになりますが、関わっていたレコード会社MIDIは赤字地獄とアーティストの離反で、生きているのが不思議なくらいな瀕死状態だったのです。そこに飛び込んできたのが「小野リサ」。制作の仕事にたずわるようになってから封印していた僕の中の「ブラジル」がむくむくと頭をもたげてきた。さっそく彼女と会ってみると、話がかみ合わない。坂本龍一や清水靖晃をアレンジャーに迎えてレコードを作りませんか? 「嫌です」。日本語で歌いませんか? 「嫌です」。あっそうですか。でも、いまさらボサ・ノヴァなんですかねぇ。全曲ポルトガル語で、って正気ですか? 日本のマーケットで受け入れられるわけがない、と思うのは当然の流れですよね。


判断力も決断力も失せていた僕には彼女を説得する力は残されていませんでした。その上リオ・デ・ジャネイロ録音までOKしてしまったとは! 彼女から胡散臭がられているのを直感して、制作の現場から手を引いた僕の元に届いたのが「CATUPIRY/カトピリ」(1989年10月21日発売)。なんじゃこれ? 音楽的には素晴らしいけど、どうやって売るのさ。ボサ・ノヴァではなくてMPB(ボサ・ノヴァの影響を強く受けたブラジルのポピュラー音楽)じゃないのよ。あれほど言ったのに全曲ポルトガル語と英語で歌っている。なんてこったい。
当時日本でボサ・ノヴァ・シンガーと称する人は皆無でした。ボサ・ノヴァ風といってもせいぜい丸山圭子の「どうぞこのまま」、せいぜい荒井由実の「あの日に帰りたい」(他意・悪意はありませんが)くらいなもの。


販売を統括していた真柄曰く、「出来ちゃったものはしょうがないっしょ。日本初のボサ・ノヴァ・シンガーでいくっきゃないっしょ」「でもさぁ、これボサ・ノヴァじゃなくてMPBなんだけどね」。「MPBなんて言ったって誰にもわからないっしょ」。
というわけで「小野リサ、日本初のボサ・ノヴァ・シンガーのデビュー盤」なんていうインチキでイージーなコピーを付けて発売したところ、予想に反してメディアの受けがいい。
バック・オーダーが次々と入る。わずか一月で50,000枚を突破して大入り袋、とあいなったのです。そして小野リサはボサ・ノヴァ・シンガーとしての揺るぎない地位を固めていったのでした。未だに彼女に迫るライヴァルは現れてきません。


もしあの時、坂本龍一や清水靖晃と一緒にやっていたら、どうなっていたのでしょうか? 
もしあの時、彼女が日本語で歌うことを承諾していたら、どうなっていたのでしょうか? 
皆さんの知っている小野リサは決して存在していなかったことでしょう。
自分の考えがいつでも正しいとは限らないということを思い知った一件でした。


教訓
アーティストのデビューにあたってボタンの掛け違えをしてしまうと、全く違うストーリー&ヒストリーになってしまう。


補遺
それが今では堂々と日本の歌を歌っている。なんだか納得がいかないね。
20年後、隼人加織で雪辱戦を試みる、仕上がりは極上だったのだが見事不発!

カトピリ

Japao 3

隼人加織 Lindas

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