2016年03月31日
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2016年03月31日
戸川純が生誕日を迎える3月31日、彼女によって日本の女子達もまた「新しい生を迎えたのだ」という想いを持つ。
彼女の初レコーディングとなるハルメンズというバンドをやっていたために、幸運にも彼女の才能の発露を間近に見た。1981年7月にリリースされた2作目『ハルメンズの20世紀』には彼女のボーカルをフィーチャーした曲がシングル「マスクト・パーティ」他、3曲収められているが、そのレコーディングにおける彼女の振るまいは驚嘆すべきものだった。
ロリータ風、文学少女風、OL風、ロック姉ちゃん風など、様々なキャラクターに扮してはスタジオに現れ、その身のこなし、口調で振る舞ってスタジオを沸かしてくれたのだ。「面白い女優になるなあ」とぼんやり考え、その多重人格的な振る舞いの切れ味には舌を巻いていた。しかしその後、斉藤環氏や香山リカ氏といった精神科医と接することになり、彼らから学んだことは「多重人格が精神学会でトピックになったのは1980年代になってから」ということだった。彼女はそんな時代を先取りしていた。ザ・フーの『四重人格』が1973年のリリースだったため、多重人格性はずっと語られていたと思っていたのだが、そうではないのだ。
戸川純のニューウェイヴにおける先輩、ドイツのニナ・ハーゲンのパフォーマンスは戸川純の誕生を示唆する。クルクルと変わる表情は、男性にはない異形でカラフルな魅力を持っているが、そこには精神学会でトピックになるような表情も含まれる。異常とかではなく、女性文化が高進していく時代の中、切り分けられていくべき、女性の特質に光が当たったのだと考えられる。
アーティストの才能をテクノやインダストリアル、アイドルなど様々な方向に萌芽させたニューウェイヴ・ムーブメントは女性の新しい表現の形も開発させたのだ。70年代末からニナ・ハーゲンや英国のリーナ・ラヴィッチ、スリッツといったアーティストは女性の時代にふさわしい多様なキャラで新時代を切り開いた。その流れは米国で80年代中期にシンディ・ローパーを生んだという見方もできよう。しかし戸川純はそれらと比較しても突出した才能を持っており、世界的にも注目すべき表現を行った。
冒頭のレコーディングにおけるキャラ表現は、そのまま彼女の活動として花開いた。野坂昭如の「ヴァージン・ブルース」カバーにおける業を背負った新宿系の表現は、そのまま椎名林檎に代表されるダークな和物系の流れに至った。「電車でGO」における黄色い小学生帽とランドセルという超ロリータ表現も、多重人格的に幼女振る舞いをするというマナーのエピゴーネンを多数生んだ。
もちろん「パンク蛹化の女」における、何もかも捨て去って叫ぶ、渾身のパフォーマンスは女性の抜き身の生き様をパンクに帰化し、数え切れないフォロワーを生んでいることは最重要項目といえよう。
しかし筆者が何と言っても忘れられないのは、当時下宿先であった徳島に電話がかかってきて「『玉姫様』という詞を書いた。聞いてほしい」と、受話器ごしに詞を読み上げ聞かされた時の衝撃であった。脳下垂体、子宮に移り・・・。女性の生理感覚を肉体性に結びつけ、狂気さえも感覚の爆発として理路整然と表現に結びつけている完成された世界があった。1年後、その曲をタイトルにしたアルバムは10万枚以上を売り上げた。その数字はレコード売り上げがどん底に落ちていた1984年のこと。現在なら50万枚のインパクトがあったといえよう。
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