2015年10月06日

35年前の今日、1980年10月6日、山下達郎のアルバム『RIDE ON TIME』がオリコン・チャートで1位を記録

執筆者:天辰保文

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35年前の今日、1980年10月6日、山下達郎のアルバム『RIDE ON TIME』がオリコン・チャートで1位を記録する。タイトルは、もちろん、その4カ月前に先行発売された同名のシングルに由来している。マクセル・カセット・テープのCMの依頼を受けて作られた曲だが、そのときの最大の話題は、山下本人が、そのCMの映像にも出演したことだった。サイパンで撮影されたというその映像は、水平線を背に膝近くまで海に浸かった彼が、こちらに向かって手で銃を撃つような仕草をみせる。そこに、同曲が流れ、「いい音しか残れない」というMCが重なる。お茶の間には新鮮すぎるほど気の利いた歌であり、サウンドだった。


5月1日に発売されたこの曲は、シングル・チャートで3位を記録、シュガー・ベイブ時代を含めて、初めてのヒットを彼にもたらすことになる。「僕の輝く未来 さあ回り始めて」と歌われるように、文字通り、山下達郎の未来はこのヒットで一気に変わるのである。その一つが、心置きなく創作活動に打ち込めたことだった。それまでのように、制作費が少なく、スタジオ代などを苦心して捻り出す心配がなくなった。とは言え、シングルとはヴァージョン違いの「ライド・オン・タイム」を含めて、そうやってレコーディングされたこのアルバムが、それまでの彼の音楽と趣を変えていたり、時代や流行におもねていたり、聴き手に媚びていたりしたかと言えば、そういうことはなかった。それどころか、彼の発言を借りれば、「近しい関係者からも地味だ」と指摘されたくらいだという。


そのあたりが、山下達郎たるところだったのかもしれない。ドラムスの青山純、ベースの伊藤広規のこの二人が、全編参加した初のアルバムでもあり(「おやすみ」だけは山下と難波弘之だけで完成)、リズムが生き生きと躍動していた。踊るためだけではない、誤解を恐れずに言えば、ディスコ・サウンドではない、ファンク・ビートが日本語と出会った、彼ならでのポップ・ミュージックがそこでは試みられていた。もちろん、「My Sugar Babe」のように、しっとりとしたソウル・バラードも、ぼくは、大好きだった。


竹内まりやとの結婚報道騒動で、メディアの乱暴な洗礼にあったのもこの年だが、思い起こせば、この80年から翌81年にかけての彼は、凄まじいほどにコンサート活動に没頭した。夏の葉山マリーナでは、大雨の中での伝説のライヴもあった。青山と伊藤の二人を含めて、ツアーとレコーディングをわけずに、志す音楽への絶対的な仲間を得たという思いが彼を一層音楽へと駆り立てたのではないだろうか。そして、その年の暮れには、念願でもあったドゥ・ワップのアルバム『オン・ザ・ストリート・コーナー』を発売するに至る。いろいろと慌ただしい季節だったが、自らを見失うことなく、むしろ足元を固めるように音楽と接した。そこがなによりも、彼らしかったと思う。「いい音しか残れない」というMCもまた、いまふり返ると示唆的だった。

RIDE ON TIME

山下達郎

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