2015年12月14日
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2015年12月14日
「クリスマス・イブ」は、1983年のアルバム『メロディーズ』に、山下達郎本人の言葉を借りれば、「ラストにひっそりと収められていた」曲だ。実際、アルバムにはもっと華やかな「高気圧ガール」もあれば、十八番のファンク・ナンバー、「メリー・ゴー・ラウンド」もあった。だから、この曲が辿るその後の運命のようなものを考えると、ポップ音楽というのは本当に面白いなあ、と思う。
手元のCDのアルバムの帯には、「ムーン・レコード移籍第一弾、クリスマスの定番!!『クリスマス・イブ』を含む名作アルバム!」とある。オリジナルのアナログ盤発売当時からそういうコピーがついていたのか、確かめようと引っ張り出してみたが、帯がなくなっていてわからなかった。少なくとも、1983年発売当時にクリスマスの定番になっていたとは考えにくいなあ、とか、そんなことを思いながら、内袋のMELODIES、、、and MEMORIESという懐かしい文字に嬉しくなって、久々にアルバムごと聴いた。
「クリスマス・イブ」が冬の街にあふれだすのは、1988年、JR東海のクリスマス・エクスプレスのCMに使われたのがきっかけだ。ちょっとしたドラマ仕立てのCMで、歌が使われたというよりは、むしろ、歌と映像とがお互いを選びあったかのようによくあっていた。
これを機に、「クリスマス・イブ」はこの季節には欠かせない歌になった。欧米にはあるが、日本でこうやって毎年この季節になると街に流れるクリスマス・ソングは、ぼくが知らなかったのかもしれないが、 この曲がほとんど初めてだったような気がする。CMが流れた翌89年、オリコン・チャートで1位になった。83年12月14日に12インチシングルで発売されて以来6年6か月、これは、1位になるまでにかかった最長記録らしい。
制作過程については、幾度となく本人の言葉で語られてきた。例えば、バロック音楽のコード進行を参考にしたこと、間奏にはパッヘルベルのカノンを使ったこと、そこからクリスマスというテーマが浮かんだこと、歌いだしはシュガーベイブ時代に出来ていたが使わなかった歌詞だったこと、例のダバダバダというスウィングル・シンガーズのスタイルは彼一人の多重録音で行ったために、苦労したこと等々だ。
ポップ音楽の世界では、本人としては物足りないのに、他に自信作はあるのに、という作品が世間から思いのほか高い評価を受けたりすることがある。これはないことにして欲しい、とさえ思いたい作品が大ヒットして、その人の代表曲になることも少なくない。そういう中で、この曲に関して彼は、作詞作曲は言うに及ばず、演奏から歌に至るまで、全ての面で満足しているので、それが代表作になったことに幸運だというようなことを言っている。
1983年当時、インタビューさせていただく機会も多く、このときも、青山(だったと思う)の小さな事務所で、完成したばかりの『メロディーズ』を聴かせてもらった。そして、感想を求められたぼくは、こともあろうに、最後のこの曲に関して、大丈夫かなあ、と不安めいたことを口にしてしまったのである。ご本人が聞き逃してくれていればいいのだけど、忘れてくれていればいいのだけど、その後にこの曲が歩む栄光の道を考えれば、音楽についてあれやこれや言うような仕事をやっていていいのかと、ふと、我が胸に手をあててみたりするのである。
写真提供:芽瑠璃堂
http://www.clinck.co.jp/merurido
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