2015年11月28日

大貫妙子/パピエ・ビュヴァール

執筆者:宮田茂樹

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1981年になると、大貫妙子のアルバム・セールスも7万枚を超えるようになり、渋谷公会堂でのコンサート・チケットも早々に売り切れ、やっとその存在が一般の人にも知られるようになってきた。彼女が28歳の年だった。


そんなこともあり、昭和28年生まれのター坊28歳の誕生日パーティーを81年11月28日に六本木の中国飯店で行ったのです(ニッパチはブタだなんて気にしない)。それはそれは楽しく過ごし、11月28日は僕にとって忘れられない日となった。


ある日、彼女の男友達の一人がこんなことを僕に言った。「ター坊ってパピエ・ビュヴァール(吸い取り紙)だね」。さすが、電通のエース・クリエーターだ。ぼくはそれに「マジーク(魔法の)」を付けるべきだと言った。以来今に至るまで《大貫妙子は魔法の吸い取り紙だ》とぼくは信じている。インクがにじんで判読不能な文字も、その吸い取り紙にかかれば素敵な詩に姿を変える。たれ落ちた色インクのシミも、その吸い取り紙は色彩豊かな抽象画に変えてしまう。


彼女の書く詞は映像的だ、とよく言われる。詩だけを読んでも感じとれないナニカが音を伴うと、まるで良質な短編映画を観たあとのように心が浄化された気がしてくる。彼女の声でその映像的な詩を歌うと、元々の言葉の意味をはるかに越えた意味が生成される。だから、日本語を解さないけど見通しの良い耳を持った外国の人にも彼女の魅力は伝わる。


「クリシェ」でアレンジを依頼したジャン・ミュジーはこう言った。『ぼくはタエコのグランド・アマテュア(大ファン)になってしまったよ』。大貫妙子の音楽は、フランシス・レイのシャドウ・ライターだった彼を虜にしてしまった。

「プリッシマ」、華やかなりしハリウッド映画音楽専用に設計されたまるで体育館のような大きなスタジオで、リズム隊にTOTO、それに加えてストリングス、ハープ、ブラス、ウッド・ウィンドと総勢四十人を越えるメンバーでレコーディングをした。コントロール・ルームに戻ってきた故マーティー・ペイチが興奮気味に言った。『タエコはアストラッドよりはるかに素晴らしいよ』。マーティー・ペイチはアストラッド・ジルベルトを世に送り出した立役者の一人。


「チャオ」のアレンジを引き受けてくれたサー・オスカル・カストロ・ネヴィスは『またタエコと仕事がしたいから、次のアルバムはいつになるんだい?』。折にふれてメールを送ってきたけど、それは果たせぬ夢となってしまった。セルジオ・メンデス&ブラジル’66のアレンジは全曲オスカルがやっている。


「ジャパォン」を作ったブラジルの大作曲家ジョアン・ドナートのピアノ譜面台には「ピュア・アコースティック」が置いてある。彼からはタエコ用の新曲だよ、といまでも曲を送ってくれる。大貫妙子とジョアン・ドナートのアルバムを作るのが、今のぼくの夢の一つだ。


もし、大貫妙子が日本と海外双方に(フランスでもアメリカでもブラジルでも)軸足を置いていたら、いまごろは国際的なアーティストになっていたに違いない。そんな夢想は詮無きことだろうけど……。

『CLICHE』『MIGNONNE 』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
大貫妙子

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