2016年05月31日
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2016年05月31日
個性豊かなURCレコードのアーティストの中で、もっともURCらしくないのが、この金延幸子だったのではないだろうか。1972年の9月に、伝説的なソロ・アルバム『み空』を発表。その繊細なる感性に満ちあふれた傑作は、当時のURCレコードが持っていた関西フォーク的な気質から美しく離脱していた。
宝塚スターを姉に持つ金延は神戸生まれ。高校時代には女性二人組のデュオを組んで活動していたのだが、そうこうするうちに、関西のフォーク・シーンに足を踏み入れていく。五つの赤い風船を抜けた中川イサト、のちに編曲者として大活躍する瀬尾一三、ハーモニカの名手である松田幸一らに誘われ、「愚」と名付けられたグループに参加することとなるのだ。
この「愚」は、秘密結社○○教団(人類頭脳進化後退破滅破壊促進倶楽部)の名義で、69年の10月にシングル「あくまのお話し b/w アリス」を発表。翌年の1月には「愚」の名前で「あかりが消えたら b/w マリアンヌ」をリリースする(ともにURCレコード)。金延幸子のミステリアスな歌声とあいまって、日本のアシッド・フォークの開祖として再評価されているが、これは日本語フォークのブリティッシュ・フォーク的な展開であったともとれる。
ソロになった彼女は、72年の9月に細野晴臣プロデュースによる『み空』を発表する。ジョニ・ミッチェルを思わせる清廉なる歌声、詩情豊かなメロディ・ラインと、やはりこれはフォークと呼ぶよりも、シンガー・ソングライターの括りのほうが似つかわしい。細野晴臣、鈴木茂、林立夫らが参加した都会的な感覚のバッキング・ワークは、その後のキャラメル・ママ〜ティン・パン・アレイのサウンド・メイクにも連なっている。
この『み空』のリリースの2ヶ月前に、金延幸子はビクターのSFレーベルより「時にまかせて b/w ほしのでんせつ」のシングルを発表している。こちらはアルバム・ヴァージョンとは異なり、大瀧詠一がプロデュース。大瀧は「CHELSEA」の名義でアレンジも担当している。大瀧が他のアーティストを手掛けたのは、このシングルが初めてとなるものだ。ほぼ同時期に、細野晴臣と大瀧詠一の両プロデュースに愛されたというのも、彼女をおいて他にいないだろう。
なお、今年(2016年)の3月にグリーンウッド・レコードからオムニバス・アルバム『されど私の人生〜埋れ火のアンソロジー +7』が復刻CD化されたが、この中には、URCのテープ倉庫から新たに発掘された、「時にまかせて」「ほしのでんせつ」の未発表アウトテイクが収録されている。
5月31日は金延幸子の誕生日となる。傑作『み空』を発表した当時の彼女は、24才の多感なる女性シンガー・ソングライターであった。
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