2015年07月09日
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2015年07月09日
1978年4月25日、細野晴臣の『はらいそ』が発売された。同アルバムは『トロピカル・ダンディー』『泰安洋行』に続くトロピカル三部作の三作目として、そしてYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)...
44年前の本日1月25日、小坂忠の名盤『ほうろう(HORO)』がリリースされた。発表当時、関係者には高く評価されたが、ベストセラーになったわけではなかった。いまはこのアルバムのソウル/R&B的な...
今日、11月12日はニール・ヤングの73回目の誕生日だ。生まれたのはオンタリオ州トロントで、幼い頃は近くの小さな町オメミーで育ったとされている。父親のスコットは、有能なジャーナリストで、地元の新...
9月12日は、あがた森魚の生誕日となる。1948年(昭和23年)に北海道の留萌市で産声をあげた。明治大学に進学、東京での暮らしを始めるのだが、ここで鈴木慶一と歴史的な出会いを果たす。この時の待ち...
2月13日は矢野顕子の誕生日である。10代のころからクラブでピアノの弾き語りを始め、そのレコーディングが伝説となっている名盤『JAPANESE GIRL』でソロ・デビューしたのが1976年のこと...
久保田麻琴と夕焼け楽団には、さまざまな音楽を教えてもらった。ハワイと沖縄のアイランド・ミュージックの楽しさを伝授してくれたのは75年の11月1日発売の『ハワイ・チャンプルー』であった。<チャンプ...
1981年8月5日にフォーライフ・レコードから発売されたイモ欽トリオのデビュー作(シングル)「ハイスクールララバイ」は、松本隆が作詞し、細野晴臣が作曲・編曲した作品である。メインボーカルを長江が...
7月14日は、1980年にYMO『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』はオリコン1位を獲得した日。79年9月の発売から1年がかりで首位となり、同年度の年間LP順位1位に輝いた。きっかけは79年末...
夕焼け楽団、ザ・サンセッツで日本の音楽シーンを黄昏色に塗り替え、その後はプロデューサーとして、インドネシアやシンガポールなどアジアの音楽を数多く紹介。昨今は日本の土着的な音楽の発掘にも精力的に取...
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年9月25日発売)の爆発的大ヒットで、YMO人気は一気に子どもたちにまで浸透するようになったが、この機を逃すまいとアルファ・レコードは新しいタイト...
1976年3月3日に愛知県立体育館で幕を開け、大阪フェスティヴァルホール、福岡九電記念体育館での公演を経て、11日の日本武道館で幕を閉じるまで計7回。それが、ニール・ヤングの初めての来日公演だ。...
日本のロックとポップスが、さまざまな意味で「豊饒さ」を示し始めた1975年の2月20日、荒井(松任谷)由実の5作目となるシングル「ルージュの伝言」(C/W「何もきかないで」)がリリースされた。若...
本日10月24日はビル・ワイマンの誕生日。93年に脱退してしまったが、デビュー以降ずっと、あのローリング・ストーンズのベーシストを長く務めた英国のミュージシャンである。間もなくロンドンで80歳に...
「はっぴいえんどのラスト・アルバムをアメリカでレコーディングしたいんだけど」。 当時、キング・レコードに在籍していた三浦光紀氏から私に相談があった。1972年のことである。 text by 山本隆士
吉田美奈子のデュー・アルバム『扉の冬』は、トリオ・レコード内に発足したショーボート・レーベルの第一弾として73年の9月21日に発売された。<出来すぎてしまったデビュー作>といった感もあるアルバム...
1976年7月25日に矢野顕子の1枚目「JAPANESE GIRL」が、フォノグラムから発売された。A面は、AMERICAN SIDEと名付けられ、リトル・フィートのメンバーが参加している。メン...
デビュー50周年を迎えてますます元気な小坂忠。21世紀に入ってから、 大小様々な会場で彼のライヴを体験しているが、のびのびとして艶のある歌声の力にいつも驚かされる。 小坂忠の歌声をはじめて聴い...
1999年6月28日は、坂本龍一『ウラBTTB』がオリコン週間シングルチャートで1位になった日。5月26日に発売されたこのマキシシングルは、収録曲「energy flow」が本人も出演するリゲイ...
5月31日は金延幸子の誕生日である。72年の9月に細野晴臣プロデュースによる傑作『み空』をリリース。その2ヶ月前には、ビクターのSFレーベルより「時にまかせて b/w ほしのでんせつ」のシングル...
今から43年前、1973年5月25日、細野晴臣の『HOSONO HOUSE』がリリースされた。当時、東京近郊にいくつかあったアメリカ村と呼ばれていた狭山の自宅での録音であった。1973年というこ...
1983年5月24日は、YMOのアルバム『浮気なぼくら』の発売日。82年の約1年の休眠期間をはさんで、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人が再び結集した復帰第1作である。81年の『BGM』『テクノ...
戸川純が生誕日を迎える3月31日、彼女によって日本の女子達もまた「新しい生を迎えたのだ」という想いを持つ。彼女の初レコーディングとなるハルメンズというバンドをやっていたために、幸運にも彼女の才能...
本日、2016年1月25日は、40年前に鈴木慶一のソロ・アーティストとしての原点となったアルバム『火の玉ボーイ』がリリースされた日。同作はソロ・アルバムにも関わらず、レコード会社の“意向”で「鈴...
1971年の11月20日、はっぴいえんどの名盤『風街ろまん』がリリース。若い人は、マニアでもないかぎり、このアルバムの発表前に彼らの歌詞をめぐって論争が起こっていたことや、インディーズからの発売...
当時、URCレコードのはっぴいえんど担当デレクターであった小倉エージによる、デビュー・アルバム『はっぴいえんど』の制作秘話。夏の盛りに発表されたアルバムの多くは冬をテーマにした曲だった。
昨日、7月28日は大滝詠一さんの誕生日でした。牧村憲一さんにミスター・サイダーとして登場する19731年の大滝詠一をお書きいただきました。
1975年5月30日。大瀧詠一のソロとしては2作目にあたる『NIAGARA MOON』」がエレックレコードのナイアガラレーベルからリリ-スされた。text by 小貫信昭
40年前、1975年の本日5月24日、「ティン・パン・アレー・フェスティバル」が中野サンプラザで開催されました。そのステージには細野晴臣さんを中心とするティン・パン・アレー・チームと、大瀧詠一さ...