2016年04月01日

1981年4月1日は『ナイアガラ・トライアングルVol.1』が最初に再発された日

執筆者:サエキけんぞう

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1981年4月1日は、76年3月25日に発売された『ナイアガラ・トライアングルVol.1』が最初に再発された日である。『A LONG VACATION』の発売を受けてのソニーからの再発であるが、ファンにとっては万感の想いが重なる。


『ナイアガラ・トライアングルVol.1』はホロ苦いアルバムであった。1976年、ナイアガラが倒産に向かうエレックを離れ、コロムビアに移籍して成功したアルバムではあったが、そこにはナイアガラ・ファミリーの影と光が重なっていた。


山下達郎の霧を切り裂くように明るい『ドリーミング・デイ』は「クライド・マック・バーガー」という原題を持つが、ドゥーワップのザ・ドリフターズの主ボーカルだったクライド・マクファターのファルセットを連想させた。まだ日本のドゥーワップのパイオニア、シャネルズの名も聞かない頃だった。そうしたエピソードが、ファンにはオールディーズ大学であった大滝のラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の結束感を高めた。


坂本龍一のプレイを初めて公衆の元にさらしたこのアルバムの2曲目『パレード』は、シカゴにインスパイアーされたピアノソロが光る。しかし、ファンにとっては何とも甘酸っぱかったのは、チャカチャカと楽しかったシュガーベイブの定番曲であった同曲が、すっかりアレンジを変えられ、しっとりと落ち着いた響きを持っていたことだ。シュガーベイブ解散が報じられている最中、この曲はすでにバンドが過去の物であったことを山下自身が宣言したといえた。


伊藤銀次の『ココナッツ・ホリデイ』も同様だった。はっぴいえんどのラストライブではナイアガラの秘蔵っ子バンド、ココナツ・バンクとして出演し、大滝詠一とシュガーベイブのコーラスで絢爛たるパフォーマンスを行った曲だった。『ナイアガラ・トライアングルVol.1』の流麗なバージョンも素晴らしいが、何処か「祭」をふり返るさみしさがあった。それはココナツバンクもすでにいないことを表していたからだ。


そんな甘酸っぱい気分はB面の1曲目、伊藤銀次の『幸せにさよなら』に象徴されていたといえよう。忘れよう昔の事は、想い出したくない・・・、と歌うその詞は、バンド解散をした伊藤自身の青春への訣別を重ねていることは明白だ。さらに、郷愁を誘うのは現在はボーナストラックに収められているシングル・バージョンである。大滝、山下の加わったそのテイクは、第一期ナイアガラの壮大なエンディングを物語っていた。


この後、山下達郎は76年8月に録音のために渡米し、12月にはその『CIRCUS TOWN』が発売される。伊藤銀次は77年に『DEADLY DRIVE』 (1977年5月)でソロ・デビュー。福生45スタジオで大滝、山下、伊藤の夜な夜な、数え切れないほどの話しをして過ごした時間は、それぞれの人生の中に織り込みしまわれた。しかし熱狂的ファンは、このトライアングルが揃って語るポップスからスポーツ、政治までの名調子の会話を、カケラでも味わいたいと、今でも嘆息をつくのである。

Niagara Triangle Vol.1 30th Anniversary Edition

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