2015年10月25日
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2015年10月25日
大滝詠一『ゴーゴー・ナイアガラ』がリリースされたのは39年前の本日、10月25日になる。
大滝詠一が亡くなった時、ホームグラウンドともいえるレコードコレクターズ誌は、いつにも増して力が入った。ミュージシャンからの「好きな一枚」コーナーには様々な讃辞弔辞が寄せられたが、僕の原稿が載った投稿欄は興味深いものになった。サエキ原稿は、アルバム『ゴーゴー・ナイアガラ』への愛慕を書いたが、その上段には小西康陽氏が同アルバムを酷評。あまりの対照性に、編集部を恨んだ。一方で「無理もない」という想いにもかられた。
大滝詠一は、1975年6月から関東ローカルのラジオ関東で、今や伝説となった同名ラジオ放送を開始した。それまでマニアにとっては雲の上だった大滝がリスナーの元に降りてきてハガキを読み、胸を熱くした。水入らずの貴重な時間がそこにはあった。
常連のハガキ投稿者のペンネームは、例えば、筆頭に読まれた大川ミシシッピー俊明。ナイアガラに対抗してミシシッピー(大川だから)というウィットが、有名人にした。第一期のハガキ読まれ回数第二位は、サエキことコロッケ五円の助。はっぴいえんど鈴木茂の別ネーム「ほしいも小僧」が杉浦茂の漫画「猿飛佐助」から取られたことから、別のキャラを選んだ。「ナイアガラ音頭」というアイデアは「我田引水の自称弟子のくりーむそーだ水」という元気のよい娘さんから生まれた。その他、大細鈴松(はっぴいえんど4人の頭漢字を合わせた)、原ほしいも和弘、南部牛追男など、名前だけで盛り上がる。『ゴーゴー・ナイアガラ』レコードには、リスナー藤井良彦による、想像で内容を推測した解説が付いており、「お先にどうぞ~土旺の夜の恋人に~あの娘に御用心」という曲名も書いてあった。それは「あの娘に御用心」のエンディング・メドレーに生かされた。
この盤は番組テーマソングに始まり、番組そのものを模し、こうしてリスナーとの交流下に生まれた。時間がない中で作られたという事情もあり、小西氏の述べる通り、けして完璧な盤ではない。
メロディータイプの曲が多い『ファースト』にしろ、リズム編曲が光る『ナイアガラ・ムーン』にしろ、ある種の突き放した鋭さが売り物だった。それに比べ、この盤には小西氏が求めるエッジーさに欠けている部分が確かにある。
しかしここにはファンに語りかけるような、それまで見せたことがなかった情動があった。岩手県から単身、東京に乗り込み、しのぎを削るシーンの中でクールなたたずまいを作っていた大滝が、血の通ったファンとの交流の中で、「趣味趣味音楽」のように胸のうちを明かすトーンを見せた。彼は情が深く寂しがり屋なのである。そうした吐露は、クールな大滝を好むファンにとっては、邪魔だったかもしれない。
ところでいわゆるブレイクする作品には、おそらく情動が正面に来なくてはならない。国民全体を相手にするには。この盤にはそんな情動を露わにした面があり、そこが『ロング・バケーション』の成功への転換点となっていると思われる。
1曲目、番組オープニングのテーマは、フィル・スペクター作のインスト曲「ドクター・カプランズ・オフィス」。それまでスペクターに影響を受けたことを語ってはいたが、曲が丸ごとコピーされることにより、本格的なスペクターサウンドへの探求が、実はここで始まった。そしてスペクターに敬意を表するかのように、全曲で徹底的にヴォーカルは深いエコーに包まれた。
そんなサウンドの中で前作ではレベルが低く抑えられていたヴォーカルが「あの娘に御用心」などで、しっかりと前に出た。
スペクターサウンドに包まれた情動、ホットなポップスへの希求という方向性。それは、はっぴいえんどから拡がったクールなシティ・ポップス指向の中で、劣勢エリアに回ったのかもしれない。
さらに深い情動を秘めた『ナイアガラ・カレンダー』」を経て、体制の仕切り直しが行われ『ロング・バケーション』が制作された。核にあったのは「君は天然色」で吠える、その怒濤のような激情、そして「いとしのカレン」の強いロマンティシズムだ。歌謡曲のようなレベルでも十分に通用する強い情感。それは一方で計算され構築されたクールなロックサウンドを伴っており、二者の対照性が絶妙なバランスを作り、ブレイクは果たされた。『ゴーゴー・ナイアガラ』は、そんな成功に至る転機となったのである。
生まれたばかりの「福生スタジオ版スペクターサウンド」、アナログAB面ラストに収められたバラード曲「こんな時、あの娘がいてくれたらナァ」「今宵こそ」のエコーの霧の中にいるようなヴォーカルは、まだ全く姿を現していない大陸を、夢見心地に透視していた。
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