2015年12月06日
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2015年12月06日
“浪花のモーツアルト”の異名をとる作曲家、キダ・タローは1930年12月6日生まれ。音楽生活65年、御年85歳を迎え、今も現役の大ベテランである。関西と関東では多少の差はあろうが、タレントとしても活動してきた氏の認知度は全国区だろう。人気番組『探偵!ナイトスクープ』の最高顧問としてご意見番席に座る姿は神々しささえ漂っている。
関西圏の方々には信じられないだろうが、東京では『探偵!ナイトスクープ』の視聴が長らく困難で、やっと見られても深夜帯の放映という時期があった。デジタル時代になってようやく解消されたが、それでも地上波ではまだ2週くらい遅れての放送なのだ。この狭い日本で東西の文化の違いはテレビの世界でも相変わらずである。関西でしか見られない大阪の局制作の番組も多い中で、昭和の頃、関東でも見られたバラエティに『プロポーズ大作戦』や『ラブアタック!』があった。東京の中高生にも人気で、いずれも音楽はキダ・タロー。印象的なテーマ曲が耳に焼き付いている。92年に出された作品集CD『浪花のモーツアルト キダ・タローのすべて』には、この2曲はもちろんのこと、『三枝の国盗りゲーム』『笑って笑って30分!』『ただいま恋愛中』『トナリnoとなり』等々…一部東京では見られなかった番組のテーマ曲が数多く収録されていて、その才能に舌を巻いたものだった。
テレビやラジオの音楽と並んで、キダ・タローの作品の核となるのが、CMソングである。代表作はやはり誰もが知っている、とれとれピチピチの「かに道楽」であろう。デューク・エイセスのコーラスが映える。他にも「日清チキンラーメン」「日清出前一丁」「日清焼きそば」など、日清食品のCMを一手に請負っていた。最も短いと思われる「有馬兵衛向陽閣」のインパクトも絶大。商品名をリズミカルに連呼するその作風は、元祖コマソンの王者・三木鶏郎を彷彿させる。テレビ番組と同様に関西ローカルのものも多く、昭和の大阪の子供たちはこれらのメロディを存分に浴びて育ったのだろうと思うとうらやましくもあり。前述のCDのCMソングの巻には、企業の社歌や校歌、市歌なども収められており、キダ・タローの音楽がいかに生活に根付いているかが判る。
それらに比べるとそれほど多いとはいえない歌謡曲作品だが、傑作は多々ある。よく知られるのが芸人に提供した歌で、史上最高の芸人ソング、コメディーNo.1の「アホの坂田」をはじめ、正司敏江・玲児の「しびれ女のブルース」、笑福亭仁鶴の「大阪は第二の故郷」など華やか。学生時代、一緒にバンドを組んでいたという盟友・藤岡琢也にも曲提供している。岸ユキが歌う「ペロペロ・キャンディー」はアレンジを手がけた知られざる傑作。明るく賑やかな曲ばかりではなく、哀愁を帯びた青春歌謡もある。中でもヒットした北原謙二の「ふるさとのはなしをしよう」には氏の意外な一面ともいえるセンチメンタリズムが発揮された、一方の代表作に挙げられよう。天才の醸し出すメロディは奥が深い。
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