2018年05月04日
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2018年05月04日
戦後最大のスタアといえば、男性では石原裕次郎、女性では美空ひばりということになる。共に俳優としても歌手としても大活躍したビッグスタアであることに異論はないだろう。しかし、戦後最大のエンターテイナーは? という問いかけになると、また別の名前がでてくるのではないか。その名は森繁久彌。映画にテレビにラジオに舞台に歌に、それぞれにしっかり代表作がある名優である。さらには文才をも兼ね備え、エッセイストとしても多くの著書を遺している。大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章したのをはじめ、紫綬褒章、文化功労者、名誉都民、国民栄誉賞に至るまで受賞・受章の栄誉も枚挙に暇がない。2009年に96歳で大往生を遂げたのはまだ記憶に新しいところだが、国民的タレントだった氏がこの世を去って早9年になる。5月4日は森繁久彌の誕生日。生誕105年を迎えた。
元NHKアナウンサーの森繁は、学生時代から演劇を志し、様々な劇団を渡り歩いた下積み時代があった。戦後まもなく映画に初出演し、ムーランルージュ時代を経て出演したNHKのラジオ番組『愉快な仲間』では歌手・藤山一郎との息の合ったコンビで人気を得る。同時期の1950年には初の主演映画『腰抜け二刀流』も封切られている。翌年は越路吹雪と共演した帝劇ミュージカル『モルガンお雪』、さらに翌年には東宝の映画『三等重役』と、正にトントン拍子でスタア街道を驀進してゆく。1953年にはマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズに森の石松役で登場、1955年には久松静児監督の『警察日記』、同年の豊田四郎監督の『夫婦善哉』と作品にも恵まれて輝かしいキャリアを重ねていた中で、当然の如く歌手としてもお呼びがかかることになる。SP期には三木鶏郎作の「僕は特急の機関士で」のレコーディングに参加しており、1957年に出された「船頭小唄」が最初のヒットとなった。1959年には「カチューシャ」で『NHK紅白歌合戦』に初出場し、歌手として計7回も出場している。
森繁の歌での活躍といえば、自身の作による「しれとこ旅情」が筆頭に挙げられるが、そこに至るまでにも多くのレコードを出していた。ここでは映画・テレビ関連のものに絞って、いくつかご紹介したい。タイトルからして風変りな「黄色い手袋の唄」は、松竹映画『黄色い手袋』の主題歌で、作詞・川内康範、作曲・小川寛興という布陣からも、『月光仮面』の亜流作品であったことがわかる。マスク姿のヒーローを演じたのは意外なことに伴淳三郎だった。だからこそ盟友の森繁が主題歌を歌ったのだろう。レパートリーの中ではわりと有名な「銀座の雀」はもともとラジオ『愉快な仲間』で生まれた作品で、原曲は1950年の「酔っぱらいの町」に遡る。1955年に川島雄三がメガホンをとった日活映画『銀座二十四帖』の主題歌としてレコーディングされ、映画には森繁も出演した。1962年に「城ヶ島の雨」とのカップリングでシングル発売され、その後も再録音されてロングセラーとなる。その2年後、東京オリンピックが開催された1964年にビクターから出された「森繁の人生讃歌」は当時大人気を博したTBSのドラマ『七人の孫』の主題歌。自身の作詞で、作曲・編曲は山本直純という、その名の通り壮大な人生歌である。ドラマは脚本家・向田邦子、演出家・久世光彦の出世作となり、森繁も舞台や映画に続いて、お茶の間でも人気を定着させたのだった。孫役のひとりとして脚光を浴びたいしだあゆみと一緒に歌った「素敵なパパ」も番組関連盤に挙げられる。「素敵なジジ」ではないところがポイント。ドラマでは老け役を演じた森繁が実年齢に戻って、父親の立場で歌っており、いずみたくによる朗らかなメロディが愉しい。
再び本流のコロムビアに戻っての「とんかつの唄」は森繁のレコードでも珍盤中の珍盤。縁の深い川島雄三監督による『とんかつ一代』の主題歌ということでこのストレートなタイトルとなった。『駅前シリーズ』など森繁とのコンビ作の多かったプロデューサー・佐藤一郎が作詞しており、作曲の松井八郎は『社長』シリーズなどの音楽を手がけた人物。映画ファン垂涎の一枚である。1963年。そして同年にレコード化された「オホーツクの船唄」こそ、名歌「しれとこ旅情」の原型となった作品。B面にはザ・エコーズの歌による「しれとこ旅情」も収録されている。1960年に映画『地の涯に生きるもの』のロケで知床半島の羅臼に長期滞在した際に自ら作詞・作曲した歌が1962年の紅白歌合戦で披露されて話題となり、レコード発売に至ったのだった。このあと森繁自身のシングル盤は65年に出されているが、大きなヒットとなったのは1970年に加藤登紀子のカヴァー盤がヒットした時で、ジャケットも新たに刷り直されてチャートインした。森繁の歌には、どれも氏の芸歴の如く、紆余曲折のドラマを有した作品が少なくない。
「黄色い手袋の唄」「森繁の人生讃歌」「素敵なパパ」「とんかつの唄」「オホーツクの船唄」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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