2016年12月15日

12月15日はザ・サベージのアルバム『この手のひらに愛を/ザ・サベージ・アルバムNo.1』の発売日だった。

執筆者:本城和治

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1966年12月15日に発売された文字通りザ・サベージの初のアルバムであるが、このあと『アルバムNO.2』が発売されることはなかった。ただ4か月後にはザ・スパイダーズとの競演アルバム『ゴー!スパイダース、フライ!サベージ』を発表している。


『アルバムNo.1』のタイトルに付けた「この手のひらに愛を」はアルバムの2か月前に発売されたザ・サベージの2作目シングルの曲名だがこれも順調に大ヒットした。アルバムには勿論彼らのデビュー大ヒットの「いつまでもいつまでも」(7月1日発売)が収録されているが、この曲こそ50年前のこの66年に始まった日本のグループサウンズ革命でGS初の大ヒットになった記念すべき曲である。デビューこそザ・スパイダーズの方が1年も早いが、「夕陽が泣いている」の大ヒットでブレイクするのは「いつまでもいつまでも」より2か月以上も後であった。


ザ・サベージはアマチュア時代エレキ・インスト・グループとして活躍、テレビのエレキ・コンテスト番組で優勝してプロ・デビューしたので歌はレコードデビュー曲が初めてであった。後に俳優兼シンガーソングライターとして「ルビーの指環」(1981)の大ヒットを飛ばした寺尾聰と後年ヤマハ音楽財団で中島みゆき等のディレクター、プロデューサーとして活躍する奥島吉雄とのアマチュアっぽい雰囲気のダブル・ヴォーカルが逆に新鮮味を感じさせた。1曲の中で2人が交代にソロを取るというのもサベージの特長だった。ヒット曲はフォーク・ロック・カラーのグループだったが実はイギリスのザ・シャドウズをアイドルにしておりグループ名のSAVAGEも彼らのレパートリーの曲名から取られている。当初はザ・スパイダーズ、ブルー・コメッツと共に3大人気グループと云われたが寺尾はデビュー後半年で退団するなど、メンバーの交代が激しいグループで68年3月には解散してしまった。従ってこのアルバム後はシングル盤は3作しか発表していない。


このアルバムからオリジナルの新曲4曲が年明けにEP盤として発売になった。シングル・カットの代わりとも云うべきこの中の1曲「涙をふいて」は実はプロ・デビュー直前の筒美京平のオリジナル作品である。というかその後人気大作曲家になる筒美京平がまだポリドール・レコードの現役の洋楽ディレクターとして在籍中、名を伏せて某音楽出版社から有望新人作曲家の作品と云うことで楽曲を売り込まれた私がザ・サベージのイメージに合う佳品だったので早速新曲として取り上げることに決めたのである。レコーディング時“筒美”なるその作曲家がスタジオに現われず代理として現場に立ち会ったのが意外にも旧知の某社の有名ディレクターだったので彼を問い詰めると、実は…と云うわけで小生もよく知っている洋楽仲間のWディレクターが筒美京平の“正体”であったという一席、お後がよろしいようで…。


≪著者略歴≫

本城和治(ほんじょう・まさはる):元フィリップス・レコードプロデューサー。GS最盛期にスパイダース、テンプターズをディレクターとしてレコード制作する一方、フランス・ギャルやウォーカー・ブラザースなどフィリップス/マーキュリーの60'sポップスを日本に根付かせた人物でもある。さらに66年の「バラが咲いた」を始め「また逢う日まで」「メリージェーン」「別れのサンバ」などのヒット曲を立て続けに送り込んだ。


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