2016年03月15日
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2016年03月15日
1957年にロカビリー・バンドとして結成された「ブルー・コメッツ」は、数度に及ぶメンバー・チェンジの末、1965年にジャッキー吉川(ドラムス)、井上忠夫(のちの井上大輔/ヴォーカル、フルート、サックス)、三原綱木(ヴォーカル、ギター)、高橋健二(ベース)、小田啓義(オルガン)という陣容に。尾藤イサオや渡辺プロダクション系歌手のバッキングや洋楽ヒットのインスト・カヴァー・レコーディング等を手がけていくうちに、ビートルズを筆頭とする英国のビート・グループたち(日本では「リヴァプール・サウンド」と総称された)の台頭に影響され、オリジナル曲を自作自演するヴォーカル&インストゥルメンタル・グループ(翌年「グループ・サウンズ」と総称される)としての道を模索し始めていく。
翌1966年3月20日、彼らにとって初のオリジナル・ヴォーカル曲であり本格的デビュー曲となる「青い瞳」(作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫)をリリースするが、これはスパイダースの「フリフリ」(65年)と共に来たるべきGS時代の幕開けを告げる歴史的作品となった。続いて66年9月1日に同じく橋本・井上コンビによるオリジナル・ソング第2弾「青い渚」をリリース。自作自演曲2曲の連続ヒットで一躍人気グループとなった彼らが、グループ名にちなみ「青い瞳」「青い渚」と続く「ブルー(青)・シリーズ」の第三弾にして完結編(「Blue Fountain」の英題が付けられた次作「マリアの泉」を完結とする説もある)となったのがお馴染み「ブルー・シャトウ」である。
もともと渡辺プロダクションから木の実ナナ用の新曲提供を依頼された井上忠夫が、日本人の心の琴線に触れるような古典的旋律を意識して作曲した もので、彼にとっては洋楽ポップス/ロックのリズム、サウンドと日本風メロディーの融合を試みた実験作でもあった。メロディーが完成後、橋本淳が詞を付けブルー・コメッツの歌と演奏でデモ・テープ用に録音したところ、ブルー・コメッツの新曲に廻すのがふさわしいということになり、今から49年前の今日1967年3月15日にブルー・コメッツ通算9枚目のシングルとしてリリースされたのである。
前年からの爆発的なブルー・コメッツ人気の急上昇ぶりに加えて、ワイルド・ワンズ、サベージ、タイガースといった新人グループたちの相次ぐデビューで、日本のポピュラー音楽史上空前のバンドブーム(GSブーム)が巻き起こりつつあった時代の追い風、そして、日本人好みのメロディーが功を奏したのか、 「ブルー・シャトウ」は150万枚を超えるセールスを記録し、ブルー・コメッツ最大のヒットとなった。その発端も作者も不明だが、いつしか子供たちの間で「森トンカツ、泉ニンニク…」という替え歌も大流行(元来わらべ唄や古謡に多い四七抜き音階の効果か?)。国民的人気と知名度を得たブルー・コメッツは、芸能誌が命名した「グループ・サウンズ(GS)」というジャンル用語が誕生したこの年の象徴的存在としてライバルのスパイダース、急進新興勢力のタイガースと共に一時代を築いていった。
「ブルー・シャトウ」は1967年度第9回『日本レコード大賞』で大賞を受賞。この年11月に起きたタイガース公演中の観客負傷事故以来、「公序良俗に反する」という理由で一切の長髪系GSを出演禁止にしていたNHKも、さすがの国民的人気バンドを『紅白歌合戦』に出演させないわけにはいかず、短髪にネクタイ姿というクリーンなヴィジュアル・イメージに妥協点を見い出し、ブルー・コメッツは前年に続き二度目の紅白出場を果たしている。
このようにGS黄金期を象徴する最大のヒット曲となった「ブルー・シャトウ」は、その後続々とデビューするGSたちのシングル曲の雛型となっていった。GS全盛期の女性ソロ・シンガーたちも、「ブルー・シャトウ」の形態・構造を模したGS調の作品(後年「ひとりGS」と総称される)を次々に発表。67~69年にかけての歌謡シーンに「ブルー・シャトウ」の亜流楽曲が数多く誕生していったが、やがてそれはGS楽曲の粗製乱造・形骸化に繋がり、皮肉にもGS衰退の一因となってしまうのである。
なお、「ブルー・シャトウ」には、一般的に知られるシングル・ヴァージョンの他、68年3月に米CBS『エド・サリヴァン・ショー』出演時にも披露された、アルバム『アメリカのブルー・コメッツ』(68年12月)収録の琴をフューチャーした英語詞ヴァージョン、70年代風のソフィスケイトされたテイストで進化させた 感のあるアルバム『G.S.R.』(71年12月)収録のリメイク版と、3種類のヴァージョンが存在する。
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