2016年12月16日
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2016年12月16日
一昨年(2014年)3月15日、安西マリアが亡くなったという衝撃のニュースが伝えられたのが、まだ昨日のことのよう記憶に新しい。生きていれば、本日12月16日で63歳を迎えていたはずである。
彼女のデビュー曲となった「涙の太陽」をめぐるあれこれに関しては、その発売42周年記念日に中村俊夫氏によって書かれたコラム(大人のMusic Calendar/2015年7月5日参照) に詳細に記されているので、今日は当時の音楽シーンとサウンド面を肴に彼女の業績を振り返ってみたいと思う。
安西マリアがデビューした1973年(昭和48年)の歌謡界といえば、「スター誕生!」を拠点に新人アイドルが次々とデビューし、歌謡界全体が若返りの形相を見せ始める一方で、すでに中堅の域に達していた女性歌手達が、その妖艶なる魅力とパンチの効いた楽曲でヒット曲を連発し、「アクショングラマー歌謡」のブームを作り上げていた。
きっかけとなったのは、前年6月に発表された山本リンダの起死回生の一発「どうにもとまらない」。続くシングル4枚も連続してオリコンチャートのベスト20に送り込み、リンダ人気は最高潮に達していた。73年3月には、デビュー12年目を迎えた金井克子が「他人の関係」で姉御肌の意地を見せ、オリコン7位という初の大ヒットを達成。既にシングル2枚をリリースするも泣かず飛ばずだった中島淳子は、夏木マリと改名して妖艶なフィンガーアクションを売り物とした「絹の靴下」を6月にリリースし、オリコン15位に食い込んだ。
大人の女性特有のフェロモンを、当時隆盛を極めた歌謡バラエティ番組を好む子供達にまでアピール可能な形で具象化したこれらのヒット曲は、のちのピンク・レディー大ブレイクにも直結する、言わば「お茶の間エロス」の源流である。奇しくもこの年の4月に初来日したデヴィッド・ボウイを筆頭に、英国発の「グラム・ロック」の人気は盛り上がる一方で、そこからの影響に加え、レコーディング技術の急速な進化、スタジオミュージシャンのロック指向も手伝い、日本の歌謡曲のサウンドは「アクショングラマー歌謡」を軸として急激に派手さを増していた。
そして7月に安西マリアが「涙の太陽」で登場する。当時19歳ながら、クラブのホステスを勤めたこともある経歴は既に堂々とした大人のフェロモンを育んでいた。そこに与えられたエミー・ジャクソンの65年の大ヒット曲をリメイクというビジネスモデルは、グラム歌謡の主流に倣ったというよりむしろ同じ東芝の先輩、ゴールデン・ハーフの方法論を踏襲したものである(彼女自身は4分の1ドイツ人の血が入ったクォーターだった)。
アレンジャーとして起用されたのは、ハーフサウンドの立役者・川口真である。その音作りも半端なく気合が入った。イントロから従来の歌謡曲と一線を画す、ブラスセクションにフランジャーをかけた斬新な音像。マルチチャンネル録音の利点を生かした意表を突くサウンド作りは、間奏でのバイクの効果音導入、細かいヴォーカルエフェクト調整などにも現れている。特にディレイタイムを極めて短く設定したヴォーカルは、後の作品にも継続してフィーチャーされ、マリアサウンドを特徴づける音となっている。
結果的に「涙の太陽」はオリコン16位にまで達するヒットとなり、後に「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!」でギャグのネタにされるなど末長く愛されるスタンダードの仲間入りを果たしたが、マリア自身は続く決定打に恵まれなかった。黛ジュン「恋のハレルヤ」をグラム化したが如き第2作「愛のビーナス」は、郷ひろみの「裸のビーナス」とかち合うタイミングの悪さで撃沈してしまい、続く2作もどちらかというとインパクトに欠け、いずれもオリコンチャート「左側」(50位以内)に達せずじまいだった。5枚目のシングル「恋の爆弾」は、かまやつひろしを作曲に起用したロックンロール歌謡の傑作ながら、100位以内にさえ入れず。
1974年、レコード業界は「オイルショック」の影響をもろに被り、それ以前のような無鉄砲な商品製造状況に翳りが見え始めた。その代りに、一つ一つの作品作りに斬新なアイディアを注ぎ込み、大衆音楽の新たな可能性を指し示す傾向に入る。特にシンセサイザーの導入は象徴的な出来事だったが(マリアの曲では、74年5月発売の「ためらう年頃」にシンセが控え目に初登場している)、時代全体がグラマラスに輝いていた当時の歌謡曲を聴いていると、負けてたまるかと意地を競っていた制作陣の心意気が、アレンジやミックスの随所から伝わってきて、現在のパソコン主体の音楽制作現場がまるで空洞のように思えてならないのだ。もちろん、「主役」である歌手達の本気も半端じゃなかったから、余計そう思える。ぎりぎりまで現役に拘ったマリアの早すぎる死が残念でならない…。
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。
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