2016年12月30日
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2016年12月30日
“ビートルズっぽい架空のロック・バンドを主人公にした連続TVコメディ番組”
そんな発想のもとに誕生したグループがモンキーズだった。仕掛けたのは、コロンビア・ピクチャーズとスクリーン・ジェムズのTV部門。そして、音楽面の責任者に任命されたのは、1960年代前半にニール・セダカやキャロル・キング、バリー・マンといったソングライターをかかえてアメリカン・ポップス黄金期を築いたアルドン音楽出版のオーナー、ドン・カーシュナーで、いま風にいえば“音楽とTV番組のメディア・ミックス”により、大敵ビートルズを打ち負かそう、というわけだ。
プロジェクトの始動は、65年9月にロサンジェルスの『デイリー・ヴァラエティ』誌に掲載されたメンバー募集広告だった。募集人員4人に対して437人が応募。そのなかにはスティーヴン・スティルスやヴァン・ダイク・パークス、ポール・ウィリアムズもいたという。やがて最終審査を経て決定したのは、デイヴィー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク、そしてマイク・ネスミス。彼らは素人ではなく、それぞれミュージシャンやタレントとしての活動歴があったが、ソロ歌手としてアルバムを出して全米ホット100に入るシングル・ヒットも持っていたのはデイヴィー・ジョーンズだけだった。
1945年12月30日、イギリスのマンチェスターに生まれたデイヴィー・ジョーンズは、ミュージカル『オリバー!』のロンドン公演に出演したことで注目され、その後はニューヨークの舞台にも立つなど、役者としてキャリアを積んでいた。ルックスの良さもあり、徐々にアイドル的な人気が出はじめた65年、デイヴィーはコロンビア・ピクチャーズ傘下のコルピックス・レーベルから歌手デビューを飾り、アルバム『デイヴィッド・ジョーンズ』をリリース。ここからシングル・カットされた「ホワット・アー・ウィー・ゴーイング・トゥ・ドゥ」は全米93位まで上昇した。
このアルバムは2014年に日本で再発されたので、興味のある方はぜひ聴いていただきたい。彼のキャリアを反映したミュージカル風ナンバーから、時流に乗ったフォーク・ロックやメロディアスなポップスまでを、初々しい歌声で披露している、なかなかの内容であったが、アルバム・リリース後、ほどなくしてコルピックスは閉鎖されてしまい、コロンビアはスクリーン・ジェムズと共同で新レーベル、コルジェムズを設立。これがモンキーズを世に送り出したレーベルということになる。
コルピックスからアルバムを出し、ヒット曲もあって、しかもアイドル人気もあったデイヴィーを、コロンビア・ピクチャーズやスクリーン・ジェムズのスタッフが、果たして見過ごすだろうか? デイヴィー・ジョーンズのモンキーズ加入は、なかば既定路線だったような気もするが、そんな彼の歩みは、アイドル・ポップの時代からビート・ポップスの時代へという米国ポップ・ミュージック・シーンの変遷を、まさに体現していたといえるだろう。
66年9月、『ザ・モンキーズ』のTVシリーズがスタートして、デビュー・シングル「恋の終列車」は見事全米ナンバーワンを獲得。一時はビートルズ人気を追い抜かんばかりの勢いで走り出した一大プロジェクトの中央には、女の子たちからひときわ黄色い歓声を浴びるデイヴィーの爽やかな笑顔があった。
≪著者略歴≫
木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。
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