2017年07月26日

ミック・ジャガー、本日74回目の誕生日

執筆者:池田祐司

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本名マイケル・フィリップ・ジャガーは、1943年7月26日月曜日、英国ケント州ダートフォード(人口約8万人の田舎街)で産声をあげた。幼少の頃より、周囲の人を楽しませる事が大好きな活発な男の子だったと言う。生まれた当時は、第二次世界大戦の真っ最中。ドイツ軍の空爆で頻繁に警報サイレンが鳴っていたらしい。ヒットラー率いるナチス空軍がフランス北部を占領し、ついで英国本土攻略を目指しドーバー海峡を超えてくる空爆作戦のさなかだったわけである。迎え撃つ英国の戦闘機はハリケーンと呼ばれた。ミックは日本人打楽器奏者ツトム・ヤマシタとの対談で、「ドイツの爆撃機が投下する爆弾の音の記憶が未だに残っている。ボン、ボン、という鈍い音だった。」と語っている。


「ミック・ジャガーは多面相である」と約30年前にシンコーミュージックの書籍に書いた事がある。これは面と向って直にミックに会う前に色々な記事を読んで、およそ推測で書いたものだった。そして実際に1988年9月にシドニーで正式に独自インタビューしてから、かれこれ60回ほど会って話しても、その印象は基本的には変わらない。卓越したシンガーであり、ダンス・パフォーマーであり、優れた詩人であり、ミュージシャンであり、アーティストであり、映像監督であり、俳優である。ユーモアや冗談が得意で、扇動者であり、女好きであり、真面目で謙虚でもある。健康マニアであり、お洒落であり、8人の子供の父親であり、プレイボーイである。つかみ所がなく、神秘的でもあり、ピーターパンのようでもあり、ギリシャ神話のアンドロギュヌス(両性具有者)のようでもある。その上、英国で勲章まで貰う始末だ。そして何よりも大金持ちのロック・スターだ。言うならばロック・スターが憧れるロック・スターである。ミック自身は、日常生活を垣間見せた重要な映像作品「Being Mick」(2001年作品)の中で、「僕はボヘミアンだ」と自己規定している。


好奇心が旺盛で、知識も豊富だ。以前、ボストンのショーが終了した後のパーティーで、娘のジョージアと並んでソファに座ってディズニーの話をしていたら、ミックが突然現れ、僕とジョージアの間に座った。僕は緊張と興奮で固まったが、恐る恐る「僕の本業は鮪漁業なんです。日本の刺身文化についてどう思いますか?」と話しかけたら、にこやかに「ふむふむ。どこの海域で操業してるの?太平洋?大西洋?」と切り返し質問してきた。同時に隣にいる娘にも振り向き「今日は何を食べたの?お母さん(ジェリー・ホール)はどこ?」と聞いていた。するとプレス担当のトニー・キングがやってきて「あちらにいる消防署長にも挨拶して」と言われ、「OK」と答えるのだった。その様子や応対ぶりや仕草は、上品でもあり、また少し乱暴でもあった。目の前にあるフルーツを手づかみでポイと口に放り込んだりした。発言が慎重にも見えたり、無神経にも感じた。その全てが魅力的にも思えた。長年、ミックのヘアメイクを担当しているキャロラインにミックの髪質の事を聞くと、「そんな事、聞いてどうするつもり?」とメディアには徹底的にバリアを張っている感じがした。そして一息ついて「ミックは、いつも、とても、面白くて、愉快で、優しいのよ。私にはね」と言っていたのが印象的だった。世間話も得意で、話し好きだとも聞いた。


昨年12月8日、アメリカ人バレエ・ダンサーのメラニー・ハムリックさんとの間に、8人目の子供が誕生した。日本の誇る二枚目俳優、上原謙を超えたと思った。丁度、その9ヶ月前、アルゼンチンのブエノスアイレス公演のバックステージでメラニーさんが友人達と談笑しているのを見かけた。そのにこやかなメラニーさんとミックが知り合ったのは、なんと2014年2月の日本公演のさなかの東京だったという。老いてますます盛んである。ミック・ジャガーの本質は、英国流の知性とアフリカンの身体性との混血であろうか。ミック・ジャガーの人生から学ぶ事は、あまりにも多い。ここまでくると、どうにかして、100歳になった歌い踊るミック・ジャガーを見てみたいものだ。


≪著者略歴≫

池田祐司(いけだ・ゆうじ):1953年2月10日生まれ。北海道出身。1973年日本公演中止により、9月ロンドンのウエンブリー・アリーナでストーンズ公演を初体感。ファンクラブ活動に参加。爾来273回の公演を体験。一方、漁業経営に従事し数年前退職後、文筆業に転職。

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