2016年10月24日
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2016年10月24日
本日10月24日はビル・ワイマンの誕生日。一応説明を加えておくと、93年に脱退してしまったが、あのローリング・ストーンズのベーシストをデビュー以降ずっと務めた英国のミュージシャンである。ロンドンでは80歳になった彼を祝うバースデイ・コンサートが開かれるはずである。ロバート・プラントも参加するのだそうだ。
このビル・ワイマンにもう少し歌の才能があったら……と夢想することが時々ある。いつもフェイク・ヴォーカルとかささやき唱法に頼ってしまうのが実に惜しい。サウンド・クリエイターとしては結構な才能を持っている人だと思うだけに……。
62年12月に彼がストーンズに加入するきっかけが「自前のアンプと大きなスピーカーとスペアのヴォックスAV30」を持っていたからというのは有名なエピソードだが(自伝本『ストーン・アローン』より)、彼のもともとの音楽志向は、ブライアン・ジョーンズ、ミック・ジャガー、キース・リチャーズほどマニアックではなかったはずだ。
ブライアンたちがブルースやR&Bの追求という「理想主義運動」に身を奉じる学生みたいな立場でいる半アマチュアのミュージシャンだったとしたら、メンバー唯一の軍隊経験者で「妻と9か月の子供もいる所帯持ち」であったビルはすでに「生活のために」音楽をやっていたのであり、ストーンズ以前の所属バンドで必要とされていたのも、より多くのお客に受ける初期のロックンロール。ストーンズ加入後にマニアックなブルースの知識も身につけていったと思われるが、そういう年齢と社会経験の差からくる「立ち位置」の違いは、他のメンバーとビルの間にずっと存在していたように見える。
一方、ストーンズ時代の彼の音楽活動におけるフットワークは軽く、普通の意味でのソロ・アルバム『モンキー・グリップ』(74年)を作ったのもグループの中で彼が最初だった。その頃マナサスのアルバムに参加したり、逆に自身のソロ作では、当時の米国西海岸シーンで脚光を浴びていたミュージシャンと次々に共演したりしていた。2作目『ストーン・アローン』(76年)収録の、ローリング・ライオンのカリプソを元にしたと言われるジミー・ソウルによるR&B「イフ・ユー・ウォナ・ビー・ハッピー」(63年/全米1位)のカヴァーが90年代の日本のクラブ・シーンで突如大受したのは本人も想定外だったようだが、彼は日本の音楽シーンにも関心を持っており、3枚目のソロ・アルバム『ビル・ワイマン』(82年)のプロモーションを兼ねて82年に単独で初来日した際には細野晴臣に会いに行ったりもしている。
その関心はザ・バンドのリヴォン・ヘルムにカセットを聴かせてもらったのがきっかけだったそうだが、同じベーシストだからということだけでなく、『トロピカル・ダンディー』(75年)に始まるトロピカル三部作の時期のニューオーリンズからカリブ海的な要素も持った細野のサウンドにビルが強い興味を抱くのも不思議ではなかった。すでにファースト・ソロでニューオーリンズの名ピアニスト、ドクター・ジョンとも共演していたビルはその時期、「ロマンシング・ストーン」のヒットで知られるカリブ海出身のエディ・グラントとも交流しており、カリブ的要素とディスコを混ぜたような曲作りに熱中していたからだ。
その3作目ソロに収められた「シー・シー・ロックスター」はそんな彼のクリエイティヴィティが生かされた一曲で、実際にヨーロッパでヒットして成功を収めてもいる。また同曲はイアン・デューリーに提供しようとしたが逆に自分で歌うよう勧められた曲だったという事実が最近明らかになったが、今年日本でも発売されたボックス・セット『ホワイト・ライトニン』には、デューリーに渡されたのであろうデモ音源が収録されていて興味深い。
本来はそのように音楽的好奇心も人一倍旺盛なはずのビルが昨年リリースした久々のソロ作『バック・トゥ・ベイシックス』は、ほのかにラテン風味を感じさせるような曲も入ってはいるが、基本的にはタイトル通りのシンプルな作品。ただそこには、いろいろな「旅」を経て再び自分にとっての「ベーシックス」にたどり着いた者でしか出せない渋みがあるのだ。
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