2017年08月24日

1981年8月24日、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」がオリコンチャート1位獲得

執筆者:篠原章

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イモ欽トリオとは、萩本欽一司会のフジテレビ系バラエティ・ショー『『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(1981年4月6日〜1983年9月12日の毎週月曜21時に放映)の番組内企画の一環として誕生したアイドル・グループで、山口良一(良い子=ヨシオ役)、西山浩司(悪い子=ワルオ役)、長江健次(普通の子=フツオ役)の3人から成る。欽ちゃん人気絶頂時代の産物で、オーディションを通じて選ばれた3人のうち、佐藤B作主宰の劇団「東京ヴォードヴィルショー」に属していた山口以外の2人はズブの素人だった。


「イモ欽トリオ」というネーミングは、当時ジャニーズ系アイドルのトップに君臨していた「たのきんトリオ」(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)とYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)にあやかったもの。「YMO」を「イモ」と読み替えたのは欽ちゃんの発想という。ただし、YMOのメンバーやファンのあいだでも、YMOを「イモ」と読み替えるのは当時ごく普通の“おふざけ”だった。


1981年8月5日にフォーライフ・レコードから発売されたデビュー作(シングル)「ハイスクールララバイ」は、松本隆が作詞し、細野晴臣が作曲・編曲した作品である。メインボーカルを長江が担当、その横で山口と西山がコーラスを入れながらYMOの演奏スタイルを真似て踊る振付けも話題となって、発売から約3週間後の8月24日、オリコン・シングル・チャート1位に上りつめた。以後、7週連続で1位の座を獲得し、集計期間合計で104万3千枚を売り上げている。いわゆる「テクノ歌謡」最大のヒット作である。


細野による他のアーティストへのシングル楽曲提供は1970年代から始まっていた。米国の人気コーラス・グループだったスリー・ディグリーズの日本企画盤「ミッドナイトトレイン」(1974年・オリコン・シングル・チャート最高位50位 /以下順位はすべてオリコン・シングル・チャート)、和田アキ子「見えない世界」(1975年・55位)がチャート・インしたほか、YMO結成後の1979年にリリースされたシーナ&ザ・ロケッツ「ユー・メイ・ドリーム」がベスト20に入るなど一定の実績はあったものの、「職業作曲家」として広く認知されることになったのは「ハイスクールララバイ」以後のことである。


「ハイスクールララバイ」の大ヒットが大きな足がかりとなって、細野は楽曲提供の面でも異彩を放つようになり、山下久美子「赤道小町・ドキッ!」(1982年・2位)の大ヒットを経て、1983年には松田聖子の「天国のキッス」と「ガラスの林檎」、中森明菜の「禁区」の3曲でナンバーワンの座を獲得した。同年にはイモ欽トリオに触発されたYMO自身が「アイドル歌謡路線」に挑み、「君に胸キュン」(2位)と「過激な淑女」(15位)で大成功を収めている。


はっぴいえんどを結成して以来「ロックと歌謡曲の境界線」を乗り越えようともがいてきた細野晴臣にとって、「ハイスクールララバイ」は文字どおり画期となる作品だったといえるだろう。


≪著者略歴≫

篠原章:批評.COM主宰・評論家。1956年生まれ。主著に『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)、主な共著書に『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)など。沖縄の社会と文化に関する著作も多い。

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