2016年05月16日
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2016年05月16日
1983年5月16日、松田聖子「天国のキッス」がオリコン・チャート1位を獲得した。聖子にとっては「風は秋色」以来、通算11曲連続での1位である。主演映画『プルメリアの伝説』主題歌で、この曲の作・編曲者である細野晴臣は、聖子の82年のアルバム『CANDY』で初起用され「ブルージュの鐘」「黄色いカーディガン」の2曲を作曲しているが、シングルA面はこれが初。
1作前の「秘密の花園」とこの「天国のキッス」、そして次作「ガラスの林檎」の3作は、ファンの間では“天国三部作”と呼ばれているが、ことにこの曲は「幾度も転調を繰り返す曲」として有名である。
この曲の持つ“天国感”とでもいうべき独特の浮遊感覚は、妙な箇所で転調するメロディー・ラインにその理由がある。まずイントロがCのコードで始まり、前サビの歌い出し直前でE♭に転調され、サビを歌い終えてコーラスのTake me to blue heavenの箇所でまたCに戻る。Aメロ(♪ビーズの波を~)の最後、♪わざとしたのよ、の「の」で再び転調、続いて♪ちょっとからかう~の出だしでまたCに戻す。Cメロ(♪教えてここはどこ~)の後半でも転調があり……キリがないのでこのくらいにするが、とにかく多い。転調の箇所が、次のメロディーに移行する直前なので、楽曲に独特の不安定感が出ているのだ。
実際は文字で解説するより、松田聖子の音源(或いはオリジナル・カラオケ)に合わせて歌ってみるのが一番わかりやすいが、非常に音が取りにくい。特に各セクションの歌い終わりを音程どおり発声するのが難しいかと思うが、これはその直前で転調し、さらに歌い終わりの部分が主和音(トニック=その曲を支配しているコードのこと)で終止しない。「天国のキッス」の場合、トニックに当たるコード(和音)はC(ドミソ)だが、歌い終わり部分が一度もCで終わっていないので宙ぶらりんの印象を聴くものに与える。感覚的に捉えれば、全体にふわふわと音符の海をうつろうようなメロディーの動きなのである。
ところが、筆者が初めてこの曲を聴いた時、最も驚いた箇所はエンディングであった。このメロディーの行き着く先はどうなるのかと思いきや、強引に♪ドーレミファソラシドー!と物凄い力技で締め括っている。「はい、おしまい!」と言われたような、細野晴臣に背負い投げを食らったかのようなカット・アウトである。偶然なのか大瀧詠一が作・編曲を手がけた81年の「風立ちぬ」でも似た運びのエンディングとなっているのが面白い。
この82~83年は細野晴臣によるテクノ・ポップの打ち込みサウンドが、歌謡曲やニュー・ミュージックのシーンで一般的に普及し始めた時期であり、「天国のキッス」のほか中森明菜の「禁区」や山下久美子「赤道小町ドキッ」、元キャンディーズの藤村美樹「夢・恋・人」などがヒット・チャートを賑わせた。この「天国のキッス」は日立のCMで使われていたインスト曲の焼き直しであると後に細野晴臣が語っているが、甘酸っぱいレトロ・ポップな響きは同時期の細野作品の中でも際立って個性的で、このレトロ感があって、童謡チックなエンディングの♪ドーレミファソラシドー! が活きてくるともいえよう。
ちなみに、1曲前の「秘密の花園」を作曲したユーミンが「天国のキッス」を評して「非常に技巧的な曲」と語っていたという。作曲技巧ではユーミンも部分転調や分数コードを駆使するソングライターであるだけに、この発言は興味深い。この時期の松田聖子の作品群が押し並べてハイ・レベルな完成度なのは、ソングライター同士が意識し合って、腕を奮ったからこそであろう。
それを体現できたのは、ひとえに松田聖子の高度な歌唱技巧があってこそ。当時、聖子はテレビの歌番組で頻繁に「天国のキッス」を歌っていたが、難解さをおくびにも出さず、キュートに華やかに満面の笑みで臨んでいた。「難しい曲をそうと思わせず歌う」彼女の技巧の確かさは、ソングライターたちを本気にさせるだけの魅力があったというわけで、聖子プロジェクトが日本のポップス・シーンの間口を大きく拡げたという事実は、「天国のキッス」1曲をとってもわかるはずである。
『天国のキッス』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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