2017年08月25日
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2017年08月25日
1970年代の男性アイドルを牽引した新御三家。そのひとりとして、野口五郎、郷ひろみとともに活躍した西城秀樹は、野性味溢れるワイルドな魅力で人気を博し、アクションを交えたナンバーを次々にヒットさせた。中でもデビュー3年目に10枚目のシングルとして出された「傷だらけのローラ」は持ち前の絶唱型に拍車がかかった傑作で、初出場となった『NHK紅白歌合戦』で歌唱される。さらに初の海外進出も図られ、ターニングポイントと呼べる重要な一曲となった。「傷だらけのローラ」が発売されたのは74年8月25日のことである。
広島に生まれ育った西城は父や兄の影響で洋楽に馴染み、小学生の時に兄らとバンドを結成してドラムを担当した。その後、高校時代にバンド出演していたジャズ喫茶でスカウトされたことがきっかけで芸能界入りする。彼を見出したのは、知る人ぞ知る芸能プロデューサー、上条英男であった。小山ルミ、吉沢京子、安西マリア、ゴールデンハーフら、主に女性タレントを世に送り出した氏が珍しく男性である西城秀樹に白羽の矢を立てたのは、余程可能性を感じたのであろう。自分の会社を持たず、タレントを育てて大手プロダクションに預けていた上条の手法の例にもれず、西城のマネージメントは芸映に委ねられ、72年3月に「恋する季節」でデビューする。キャッチフレーズは“ワイルドな17歳”だった。
デビュー曲は筒美京平の作曲だったが、セカンド・シングルの「恋の約束」は鈴木邦彦が作曲を担当。続けて鈴木が作曲し、たかたかしが作詞した3枚目のシングル「チャンスは一度」から曲に振付けが施されてコンセプトが徐々に見えてくる。ブレイク作となったのは、73年5月発売の5作目「情熱の嵐」である。馬飼野康二のダイナミックなアレンジも功を奏して初のベストテン入り。ステージではファンによる“ヒデキ!”コールも話題となった。同時期には野口五郎「君が美しすぎて」、郷ひろみ「裸のビーナス」もヒットし、新御三家が揃ってチャートのベストテンにランクインしている。「平凡」や「明星」などの芸能誌でも三人がグラビアページを頻繁に飾る機会が増えていった。
次作の「ちぎれた愛」では初のチャート1位を獲得し、以降は鈴木邦彦と馬飼野康二が交互に作曲してヒットを連ねる。9作目のシングル「激しい恋」がリリースされたのは74年5月のこと。そのすぐ後、6月には主演映画『愛と誠』が公開されて大ヒットし、8月には大規模な「ヒデキ・イン・スタジアム“真夏の夜のコンサート”」が大阪球場で開かれるなど、人気絶頂の中で出されたのが「傷だらけのローラ」だったのだ。作詞はさいとう大三が初めて担当。それまでのレパートリー「ちぎれた愛」「愛の十字架」から貫かれてきた“愛”というキーワードが継承された絶唱型の極みともいえる疾走感に満ちた歌唱で、終盤のたたみかけは特に凄い。カラオケの画面によく表示されるカロリー消費量はきっと絶大な筈。
翌75年10月にはライヴ・ドキュメンタリー映画『ブロウアップ ヒデキ』が公開された。1975年7月20日から8月24日まで開催された初の全国縦断コンサートの模様を収めたフィルムには、ステージを駆けまわり、全力で歌い踊る20歳の西城秀樹の溌剌とした姿が記録されている(2015年にDVD化)。その時の模様はライヴ・アルバム『ヒデキ・オン・ツアー』としても発売されたが、ステージで披露された時にはまだ発売前だった「傷だらけのローラ」はなんとフランス語で熱唱されている。75年1月には実際にフランス語版のレコーディングが行なわれてヨーロッパ諸国で発売され、カナダではチャート2位にランクインしたという。国内でも75年4月にフランス語版の「LOLA」がリリースされた。
「恋する季節」「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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