2017年10月09日
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2017年10月09日
10月9日、67歳の誕生日に仲井戸麗市は「雨あがりの夜空に 2017」と題して日比谷野外音楽堂のステージに立つ。タイトルになっているRCサクセションの代表曲「雨あがりの夜空に」は、いつのまにか「日本の有名なロックンロール」(「上を向いて歩こう」を演奏する際の忌野清志郎のキメ台詞)というべき曲として親しまれ、特にロック・バンドが多数出演するイベントの最後のセッションで演奏されることが多いのはご存知の通り。そして誰よりもこの曲を愛しているのは、チャボこと仲井戸麗市だ。今回のライヴのタイトルにしたことからは、この曲を共に作った盟友・忌野清志郎(以下キヨシロー)への思い、楽曲への愛、二人の歩んだ道程や現在の自分自身のこと、そして彼らに関わってきたたくさんの人たちやファンへの感謝など、様々なことが伝わってくる。
1980年1月21日にシングルとしてリリースされたこの曲は、バンド編成となって再起したRCサクセションがあげた狼煙のようだった。リリース前からライヴの定番曲として演奏されてファンを魅了し、共演したバンドに愛された。1990年にバンドが活動休止となってもキヨシローは歌い続け、2009年にキヨシローがこの世を去った後は、求められればチャボが歌うようになった。気がつけばRCサクセション現役時代より更に広く愛される曲となっているようだ。
フォーク・トリオだったRCサクセションがドラムを加えてロック・バンドに変わろうとしていた頃、数年前の共演をきっかけに深い友情を結んでいたキヨシローとチャボは、「LIVEの最後に盛り上がる、曲を作ろうぜ」と「雨あがりの夜空に」を共作した。ライヴで演奏する時は「オッケー、チャボ!」とキヨシローがチャボに声をかけ、チャボの突っかかるようなギターソロから曲が始まる。バンドを組んだら一度はやってみたくなるこのイントロを、どれほど多くのアマチュア・バンドがコピーしてきたことだろう。
ブルースやロックの流儀に則って、調子の悪い車を機嫌の悪い彼女と重ねるところも秀逸で、「こんな夜に、おまえに乗れない」と腕を空に突き上げロック・バンドの夢と快感を詰め込んだこの曲が、愛され続けているのは当然だろう。
けれど、チャボはこの曲に忸怩たる思いも抱いている。彼がこの曲を歌う時は、いつもキヨシローがそこにいるようで、これを歌うことを自らに課したような切なさを漂わせる。この曲とキヨシローとチャボのトライアングルは永遠なのだ。それに加え、インタビューなどでしばしば語っていることだからご存知の方も多いと思うが、最初にシングルとしてリリースする時に、ディレクターから歌詞の変更を求められ、それをRCサクセションが呑んでしまったことを、チャボはずっと悔いている。当時はまだ若く、反抗心は気持ちが破裂するほど持っていても、ふてくされるぐらいしか対処できなかったのだろう。ただ、その変更した部分がチャボにとっては思い入れの大きいところだった。自分たちはこれから攻めていくんだ、という強い熱意を込めた歌詞だったのだ。
最後のリフレインになる「雨あがりの夜空に、ジンライムのようなお月様」と表現する部分は、「雨あがりの夜空に、吹く風が早く来いよと俺たちを呼んでる」となるのである。ライヴでキヨシローもいつの間にか後者で歌うようになっていたが、今も前者で歌われ続けている。そんな経緯もあったからだろうか。例えばアルバム『RHAPSODY』での収録は前者だが、『The TEARS OF a CLOWN』は後者だ。この曲のスタジオ録音版は最初のシングルだけで他はライヴ音源しか残されていない。
どちらの歌詞が間違いとかそういう話ではない。ただ、この逸話はRCサクセションの一部分を象徴しているようにも思えて忘れられないのだ。私はこの曲を聴くといつも、2つの歌詞が頭の中で響いている。そして、そのことをずっと心の中で反芻しているチャボのピュアな思いに胸が熱くなる。67歳になっても彼は永遠のロック少年だ。
いろいろな思いが詰まった「雨あがりの夜空に」。チャボがキヨシローと何度も一緒に立った日比谷野音のステージでは、二人を風が呼んでいるに違いない。
≪著者略歴≫
今井智子(いまい・ともこ):『宝島』編集部で、音楽記事担当者として同誌の編集・執筆に携わる。1978年フリーとして執筆活動を開始。以後、「朝日新聞」レコード評およびライヴ評、「ミュージック・マガジン」などを始め、一般誌・音楽誌を中心に洋邦を問わずロックを得意とする音楽評論家/音楽ライターとして執筆中。著書「Dreams to Remember 清志郎が教えてくれたこと」(飛鳥新社)など。
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