2018年04月02日
スポンサーリンク
2018年04月02日
4月2日は忌野清志郎の誕生日。存命なら67歳になる。30年前、どんな気持ちで清志郎は37回目の誕生日を迎えていたのだろう。
30年と1週間前、すなわち1988年3月25日にRCサクセションの19枚目のシングル「NAUGHTY BOY」がリリースされた。歌詞に出てくる「いたずらっ子」というのが”NAUGHTY BOY”だ。この2年前になる1986年4月23日に、『NAUGHTY BOY』と題した4曲入りミニ?アルバムが出ているのだが、それには「NAUGHTY BOY」という曲は入っていない。ややこしいことである。
ミニ・アルバム『NAUGHTY BOY』は、RCサクセションとして初の、海外リミックスが施された作品だ。マネジメントを独立し、新たなスタッフを迎えたりする中で、海外へ目を向けることを勧められたらしい。私はそれまでのガレージロックみたいな音が結構好きだったのだが、機材のデジタル化も進み世の中はもっとトリートメントされたダイナミックなサウンドが主流になっていた。RCサクセションも、その流れに飲み込まれることを余儀なくされていく。また、レコーディングやミックスで英米に行くことも、バブル景気のおかげもあり当然のように行われた時代だった。
当初はメンバー全員で渡英を提案されたが清志郎以外のメンバーの腰は重かった。83年に出した『OK』でのハワイ録音が、あまり良い思い出ではなかったことと、彼ら自身が海外に行く必要を感じていなかったからだろう。結局、清志郎は単身ロンドンへと向かった。日本で録音した新曲を2曲(「マリコ」「サマー・ロマンス」)とリミックス2曲(「渚のワインディング・ロード」「山のふもとで犬と暮らしている)をロンドンのユートピア・スタジオで当時、頭角を現していた若手エンジニアのティム・パーマーが手がけた。
その時のエピソードで、食事に行ったレストランのクロークでコートとマフラーを預けたのだが、帰りに受け取るとマフラーが見当たらず、預けた預けないの押し問答に。だがよく見たらコートの袖にマフラーが入っていたというオチで、クローク係に「You are naughty boy」と言われたのを清志郎は気に入ったようだ。そのことを楽しそうに取材の席で話してくれたことを覚えている。そして、その後に同題の曲を作った。
86年の渡英が清志郎には大いに刺激になり、87年の初ソロ作『RAZOR SHARP』に繋がっていくのだが、そんな彼の変化をRCサクセションに反映させるのは大変だったに違いない。冒頭に書いたシングル「NAUGHTY BOY」はティム・パーマーが推薦したエンジニアのチャールズ・ハロウェルを日本に招聘してミックスが行われた。この曲とカップリングの「DIGITAL REVERB CHILD」を収録した2枚組アルバム『MARVY』もハロウェルのミックスだ。ちなみに、ハロウェルと彼のアシスタントがコーラスで参加してもいる。
それまで長年、ファミリーとも言えるスタッフと共にレコーディングをしてきたRCサクセションにとって、レコード会社の移籍やマネジメントの独立に続く大変化だった。「NAUGHTY BOY」は、そんな変化を象徴する曲に思えてならない。
シングル「NAUGHTY BOY」ミニ・アルバム『NAUGHTY BOY』ジャケットはスタッフ所蔵
≪著者略歴≫
今井智子(いまい・ともこ):『宝島』編集部で、音楽記事担当者として同誌の編集・執筆に携わる。1978年フリーとして執筆活動を開始。以後、「朝日新聞」レコード評およびライヴ評、「ミュージック・マガジン」などを始め、一般誌・音楽誌を中心に洋邦を問わずロックを得意とする音楽評論家/音楽ライターとして執筆中。著書「Dreams to Remember 清志郎が教えてくれたこと」(飛鳥新社)など。
1982年4月5日、坂本龍一&忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」がオリコンのシングルチャートの1位を獲得した。当時筆者はロンドンレコードの新入社員として宣伝を担当。売上を伸ばしていた写...
川村カオリが1988年11月に「ZOO」でデビューしてから、今年で30年を迎える。『KAORI KAWAMURA 1 2 3』は1988年、17才でデビューしてから4年間の音楽映像である。VHS...
1985年11月15日、レベッカの通算4作目のアルバム『REBECCAⅣ~Maybe Tomorrow』がオリコン・アルバム・チャートの1位を獲得した。レベッカにとっては初のアルバム1位獲得であ...
10月9日、67歳の誕生日に仲井戸麗市は「雨あがりの夜空に 2017」と題して日比谷野外音楽堂のステージに立つ。タイトルになっているRCサクセションの代表曲「雨あがりの夜空に」は、いつのまにか「...
RCサクセションの「わかってもらえるさ」という曲が心に響く。この曲には誰かに向かってるいつもの強気な清志郎はない。感情の底から絞るようにシャウトする清志郎もない。でも、清志郎の声は上下左右にとて...
「RCサクセション「COVERS」8月6日発売予定/「ラヴ・ミー・テンダー」6月25日発売予定 上記の作品は素晴らしすぎて発売できません。 東芝EMI株式会社」と新聞広告が打たれたのは1988年...
6月30日は、「トランジスタの日」だそうだ。トランジスタ・ラジオは高度経済成長期に急速に普及し、1960年代に入ると深夜放送が始まり、70年代以降、若者をターゲットにした番組として充実していく。...
RCサクセションの3作目のアルバム『シングル・マン』がリリースされたのは1976年4月21日。実は2年も前に完成していたのだが日の目を見ていなかった。当時、マネジメントのゴタゴタに翻弄され事務所...
初期のRCサクセションは、アコースティック・ギター二本とウッドベース(忌野清志郎、林小和生、破廉ケンチ)という3人編成であった。清志郎の強いギター・カッティング、想定外のラインを動くウッドベース...
本日10月9日は仲井戸“CHABO”麗市の誕生日。65歳となる。古井戸でデビューしてから45年が経過した。古井戸の時代はステージ上で一言も発せず、黙々とギターの弾いていたチャボだが、今ではテレビ...
かわいいルックスのRCはフォーク界の中でもアイドル寄りだと思っていた私は、初めてのRCのライブで考えを改める。ハードなギターのリズムが醸し出す男っぽいグルーヴあるサウンドは初めて聴く音楽だった。
「ヤング720」にアマチュアの高校生であったRCサクセションが登場。後にデビュー・シングルのB面となる「どろだらけの海」
5月2日。忌野清志郎が逝ってから6年になる。時は瞬く間に過ぎ去り、世の中は驚く程変わった。 海の向こうでは戦争が止むどころか、ますますその戦火の渦は拡大している。東日本大震災の被災者達はいまだ家...