2017年12月06日
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2017年12月06日
70年代前半のフォークソング・ブームを支えた「かぐや姫」は、75年に解散した。南こうせつ、山田パンダは、ソロとしての活動を始め、「かぐや姫」の後期に、「かぐや姫」の4枚目のアルバム『三階建の詩』で「22才の別れ」「なごり雪」を発表し、優れたソングライターとしても頭角を現していたショーヤン、伊勢正三は 「雪」などのヒットで知られる「猫」のメンバーであった大久保一久と「風」を結成した。
「風」は、フォークソング的なサウンドよりも、より洋楽志向、ウエストコースト・サウンドへの憧憬を強めていったようで、「風」の4枚目のアルバム『海風』で、その色合いをますます強め、レコーディングもロサンゼルスで行われた。そのアルバムのリリース時のコンサートが、77年12月6日、武道館で行われた。ショーヤンのか細いが味わいのあるボーカルが、私の心に残っている。
かぐや姫時代から度々取材していた私は、「風」を結成したのちも、取材やあるいは吉田拓郎の歌で有名な原宿の酒場「ペニーレイン」でショーヤンと出会うことが多かった。
『海風』リリース時、いわゆる芸能誌である「週刊平凡」の編集者であった私は、カラーグラビアで風をクローズアップするという企画を通した。所属事務所のユイ音楽工房のスタッフの好意により、午後早くから深夜まで、長時間の取材を行うことができた。
社交的なこうせつや飄々としたパンダという二人の個性に比べ、引っ込み思案の三男坊というように思われていたショーヤンは、かぐや姫当時では、やはりそのままの印象と感じていた。言い換えればかぐや姫当時は、音楽好きの寡黙な青年という立ち位置であった。しかし風結成後、自身の音楽観を語る彼は寡黙ではなかった。
細かい内容は、今や40年も前のことで憶えていないが、この時のショーヤンは雄弁なアーティストに変身していた。
2、3時間はインタービューした、というより、ショーヤンの一人語りを拝聴していた感じだった、との記憶がある。先述したように、寡黙というのが、人々の彼に対する印象であろうと思われたが、その夜の彼は、饒舌であった。特にこの頃は、彼の音楽に対するスタンスが確立した時期だったらしく、彼からは自信に満ちた言葉が次々と語られた。
数年前、ショーヤンが、元ガロのボーカル、太田裕美とユニットを組んでツアーを行っている「なごみーず」の東京・福生でのライブに私は出かけた。
ボーカル、太田裕美とも旧知の仲なので、ライブ終了後、3人に食事にさそわれ、図々しくも同席した。そこでは、ワイン好きのショーヤンのセレクトでオーダーしたワインを口にしながら、ショーヤンたちと楽しいひとときを過ごした。
30年以上の時をへだてて、会話を交わしたショーヤンは、還暦過ぎても、寡黙で雄弁な音楽青年だった。
≪著者略歴≫
友野耕士(ともの・こうじ):1948年生まれ。1972年平凡出版(現在のマガジンハウス)に入社。72年から73年まで月刊「平凡」編集部グラビア・デスクに在籍。その後、幾つかの編集部に在籍し、フォーク、ニューミュージックのアーティストから、キャンディーズなどのアイドル、五木ひろしなどの演歌歌手、洋楽のミュージシャンまで、幅広い音楽シーンで取材を行う。その後は「Hanako」編集長などを歴任。
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