2017年12月13日
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2017年12月13日
本日12月13日は、日本を代表するキーボード奏者、作・編曲家の一人であり、ゴダイゴのリーダーとしても知られるミッキー吉野の誕生日。66歳になる。かつてゴールデン・カップスの最年少メンバーとして活躍していた時期を知る者にとっては、50年にも及ぶ活動歴を誇る大ベテラン・アーティストの感があるが、カップスの盟友・エディ藩をはじめ、同時代のGS・OBたちがこぞって古希を迎えていることを考えると、現在60代半ばを過ぎたばかりの彼がいかに若くして音楽家として成功を収めたのか、その早熟の天才ぶりに改めて驚嘆させられる。
ミッキー吉野(本名・吉野光義)は、1951年12月13日横浜市磯子に生まれた。
4歳の頃からピアノのレッスンをはじめ、13歳の時(65年)にアメリカン・スクールの女子たちと結成したアマチュア・バンド「Jウォーカー&ピデストリアンズ」で初ステージを飾る。66年には、地元のセミプロ・バンド「今野秀尊&ニューキャメリアズ」に誘われ、ナイト・クラブやダンス・パーティーで活動。同時期にアメリカン・スクールのバンド「ザ・チューズン・フュー」のメンバーとして米軍キャンプの仕事も始める。まだ中学2年生の頃からプロ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートしていたのである。
1967年、のちにゴールデン・カップスの弟バンドとして知られる「パワー・ハウス」(陳信輝、竹村栄司、柳ジョージ等が在籍)の前身「ミッドナイト・エキスプレス・ブルース・バンド」に参加。翌68年には同バンドのベーシストだった林恵文(のちにゴールデン・カップスに参加)と共に「フラワー・クリエイション」を結成して、関東一円の米軍キャンプや地元横浜のディスコで活動していた。そんな矢先、「長い髪の少女」の大ヒットで人気急上昇中のゴールデン・カップスから、唯一の外国人メンバーであるケネス伊東(ギター)がビザの関係で帰国することになり一時的に脱退。その穴埋めとして、以前からカップスのステージに飛び入り参加するなど、メンバーたちとも交流のあったミッキーに白羽の矢が立てられた。
ゴールデン・カップスの一員となったミッキーの初仕事は、68年7月12日のジャズ喫茶『池袋ドラム』でのライヴ。その後、新曲「愛する君に」
カップスの音楽的な要としてエディ藩、ケネス伊東と共に活躍したミッキーのベスト・ワークとも言えるのが、71年1月にリリースされた日本ロック史に残る名盤の誉れ高いアルバム『フィフス・ジェネレーション』で、チューズン・フュー時代の盟友ジョン・アギナルドと共作した作品4曲を発表。カップスに新たな音楽的拡がりをもたらしただけでなく、のちにゴダイゴで展開されるポップな音楽性の萌芽を垣間見せた。同アルバム制作時には、猪俣猛や佐藤允彦の協力を得てソロ・アルバムの制作も進んでおり、さらに成毛滋(g)、つのだ☆ひろ(ds)、柳ジョージ(b)との新ユニット結成も計画されていたが、70年12月の大麻取締法違反による逮捕騒ぎで、すべてのプロジェクトは頓挫してしまう。
事件後カップスを脱退したミッキーは、71年6月に米国ボストンのバークリー音楽大学に留学。ピアノと編曲を学ぶ傍ら、ゲーリー・バートンやリヴォン・ヘルム(ザ・バンド)など数多くのアーテイストたちとセッションを重ねたり、同じく留学中のステイーヴ・フォックスと共に現地の人気バンドで演奏活動していた。74年6月に無事卒業し帰国後は、、「ミッキー吉野グループ」を結成し、76年にはタケカワユキヒデ(vo,key)を加えて「ゴダイゴ」に発展。78年の「ガンダーラ」の大ヒットで一気にブレイク後は、「モンキー・マジック」「ビューティフル・ネーム」「銀河鉄道999」等のヒットを連発し国民的人気グループとして活躍した。
現在も、85年に活動休止後99年に再始動したゴダイゴでの活動の傍ら、作・編曲家、プロデューサー、音楽監督、プレイヤーとして、映画、テレビ、舞台、CM、ライヴ等、多岐にわたる音楽活動を展開。自らのソロ作品も数多くリリースしている。最近は07年に結婚した画家のミニー夫人とのコラボレーションによる映像作品も発表し話題を呼んだ。プロ・デビューから半世紀。早熟の天才から“円熟の天才”へと年輪を重ねた現在もなお、音楽を媒介に新たな可能性を探求する意欲的な姿勢には微塵の揺らぎも無いようである。
「愛する君に」「ガンダーラ」「ビューティフルネーム」 「銀河鉄道999」撮影協力:中村俊夫
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
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