2016年01月18日
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2016年01月18日
最近ではすっかりと<森山直太朗ママ>としてもお馴染みになった森山良子だが、1967年のデビュー時には<日本のジョーン・バエズ>と呼ばれ、新進気鋭のフォーク・シンガーであった。
当時の紹介文を少し引用すると、
「文字通り、”日本のジョーン・バエズ”ともいえる、女性ソロ・シンガーとして、第一人者の実力を持っています。まだ高校3年生(成城学園高校)という若さを考えるとその完璧ともいえる歌のうまさには、クラシックの基礎もあるということですが、舌をまくばかりです。(中略)彼女自身は日本のバエズというレッテルには、少し抵抗を感じているようで、レパートリーも、ジュディ・コリンズやキャロリン・ヘスターなど、幅広くとりあげています。」
このような記事が、1966年刊のミュージックライフ誌の「フォーク・ソング」増刊号に掲載されていた。当時はアコースティック・ギターの弾き語りだけでなく、ヴィラ・ロボスが作曲した「バッキアーナス・ブラジレイラス」からの「アリア」をチェロの伴奏で歌うなど、野心的な試みもしていた。
まさにフォーク界のエリートであり、期待の星であったのだ。今でいうならば、中村まりのような存在であったのだろうか。67年に外資系のフィリップス・レコードと契約し、日本語のオリジナル曲「この広い野原いっぱい」でデビューした。この曲は、森山良子が銀座の画廊で購入したスケッチ・ブックに書かれていた詩に彼女自身が作曲したもので、モダン・フォーク・カルテットで活躍した眞木壮一郎、つまりはその後のマイク真木が歌った「バラが咲いた」とともに、日本のカレッジ・フォーク界の一時代を築いていくこととなる。
森山良子は1月18日に生まれた。まさに音楽一家で、父親は日本のジャズ・トランペッターの草分けのひとりである森山久、母親も浅田陽子の名前でジャズを歌っていた。そしてご存じのように、母方の従姉妹には、ザ・スパイダーズのかまやつひろしがいる。そのかまやつの父親のティーブ・釜萢は日本におけるジャズ・ヴォーカルの先駆者であり、細野晴臣の78年のアルバム『はらいそ』にゲストとして招かれている。
「この広い野原いっぱい」でデビューした森山良子は、「愛する人に歌わせないで」や「禁じられた恋」「恋人」などをヒットさせていく。フォークという範疇からは外れたものも少なくないのだが、もともとがジャズ・シンガーになることも志していた彼女にとって、この自由さこそが本流であったのではと思う。67年の「今日の日はさようなら」(67年のシングル「恋はみずいろ」のB面曲)は、当時のフォークのコンサートでも人気の高い曲であり、ジョーン・バエズも日本語でこの曲を吹き込んだ。
その後の彼女は、ナッシュヴィルやロンドンでの海外レコーディングを経験したり、ビートルズやサイモンとガーファンクルなどをレパートリーにしたり、意欲的に音楽の幅を広げていく。76年には、元はっぴいえんどのドラマーであり日本を代表する作詞家のひとりである松本隆をプロデューサーに迎え入れ、ムーンライダーズらをバックにしたアルバム『日付けのないカレンダー』を発表した。このようにブレーンやプロデューサーに恵まれているのが、森山良子の最大の強みだ。
森山良子は、2002年に「さとうきび畑」での歌唱で日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞している。この曲は彼女のレパートリーの中でも非常に古い曲で、69年に制作した『森山良子カレッジ・フォーク・アルバムNo.2』に収められていた曲であったのだ。また2006年に<06年ヴァージョン>としてリリースされた「30年を2時間半で」は、30年ぶりに出会った男女の心のときめきが、まるで独り芝居のように劇的に描かれた名曲だ。歌詞を手掛けたのは森山自身と元モダン・フォーク・カルテットの麻田浩。最後の、「いつも歌ってくれた しゃがれた「Blowin' In the Wind」/別れた理由が未だに見つからない」の歌詞がいつまでも心に残る。
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