2018年09月20日
スポンサーリンク
2018年09月20日
秀でたルックスと歌唱力を兼ね備えたアイドルとして1978年にデビューした石川ひとみは、NHKの人形劇『プリンプリン物語』の主演に抜擢されるなど、徐々に人気を高め、81年には「まちぶせ」のカヴァーをヒットさせて歌手としても遂にブレイクを果たした。NHK『レッツゴーヤング』に代表される司会の仕事や、アイドル脱却を意図してグラビアを賑わせたりと活躍する中で歌を歌い続けたが、87年にB型肝炎を発症して一時の休業を余儀なくされる。しかし翌88年には早くも復帰し、アニメソングを中心にリリースを再開して復活を遂げた。以降も衰えぬルックスで活動を続けてきた彼女は本日9月20日に59歳の誕生日を迎えた。永遠のアイドル・石川ひとみはその年齢を全く感じさせない若々しさで今も歌い続けている。
まだ小学生だった頃、地元・名古屋ののど自慢番組『どんぐり音楽会』に優勝したのがテレビ初出演。中学時代には校内でファンクラブが結成されるほどの可愛らしさだったという。そんな彼女が芸能界入りするきっかけとなったのは、高校2年の時にオーディション番組『君こそスターだ!』でチャンピオンになったことから。渡辺プロダクションに所属してデビューすることとなったが、ちょうどその時期の渡辺プロでは一世を風靡していたアイドル、キャンディーズが解散するタイミングであった。78年4月4日、後楽園でのファイナルカーニバルで惜しまれつつ3人がマイクを置いてからわずか一ヶ月半後の5月25日に、石川ひとみはキャニオンレコードのNAVレーベルから「右向け右」でデビューしたのだ。
キャンディーズ以降、スターアイドルがなかなか育たないでいた渡辺プロにとっては期待の新人であったことだろう。ザ・ピーナッツの育ての親として、キャンディーズにも曲を提供していた宮川泰の作曲、80年代に松田聖子らアイドル歌手を中心に活躍を遂げる三浦徳子の作詞による「右向け右」は、デビュー曲として申し分のない作品であったが、惜しくも大きなヒットには至らなかった。馬飼野康二が作曲したセカンド・シングル「くるみ割り人形」も評判はよくファンの間では支持されるもチャートは42位止まりであった。そんな中、79年には『ひょっこりひょうたん島』の流れを汲むNHKの人形劇『プリンプリン物語』の主役に抜擢され、声だけの出演とはいえども軽快な主題歌も好評を得る。『クイズ・ドレミファドン!』で司会を務めるなど、ヴァラエティ番組を中心に少しずつ人気を高めていった。
そしてデビュー4年目となった81年の春、これが売れなければ歌手を辞めようと不退転の決意で臨んだという11枚目のシングル「まちぶせ」が遂に大ヒットに至るのである。76年に渡辺プロからデビューし、僅かシングル3枚、アルバム1枚で早々に引退してしまった先輩、三木聖子のデビュー曲のカヴァー。荒井由実時代のユーミンが作詞・作曲しており、松任谷正隆がアレンジしていたもので、石川ひとみヴァージョンも同じく松任谷がアレンジを手がけている。じわじわとランキングが上昇し、発売から2ヶ月以上経った8月3日付のオリコン週間チャートで遂にトップテン入りを果たし、最高6位を記録。アイドルの楽曲には珍しいロングヒットとなり、大晦日の『第32回NHK紅白歌合戦』に初出場して涙の歌唱を見せたのだった。デビューしてから3年間の様々な想いが交錯したとおぼしい。
「まちぶせ」リリースから約半年後、12枚目のシングルはやはり三木聖子がオリジナルの「三枚の写真」のカヴァーとなった。本来は「にわか雨」が予定されていたが、「まちぶせ」の予想外のロングヒットで変更され、同曲は結局2年後の83年にシングルリリースされている。以降も「ひとりじめ」「君は輝いて天使にみえた」など魅力的な楽曲が送り出されるもヒットに至らなかったのは残念。だが、ほかにも松本隆×吉田拓郎による「ハート通信」や、小柳ルミ子が「乱」としてリメイクした玉置浩二作曲の「恋」など、多彩な作家陣による名曲たちは、歌手・石川ひとみにとっての大きな財産である。2000年代に入ってから、童謡やフォークソングなどのスタンダードを歌った“一五一会シリーズ”ももっと評価されるべきアルバム。唯一無二の瑞々しい歌声でいつまでも歌い続けて欲しい。
石川ひとみ「右向け右」「くるみ割り人形」「プリンプリン物語」「まちぶせ」「三枚の写真」三木聖子「三枚の写真」 ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
1973年5月、“フリージアの香り”のキャッチフレーズで、キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)から「コーヒーショップで」で歌手デビューした時は21歳。アイドルとしてはかなり遅いスタートとな...
ユーミンの「14番目の月」や子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしていた1976年11月、数々の日本人アーティストのアルバムを抑えて1日、8日、15日と3週連続でオリコンチャート1位をキ...
本日10月26日は、今やすっかりベテランシンガーとなったあいざき進也の62歳の誕生日である。幼い頃から合唱団にも所属しており、当初はクラシック系の声楽家を目指していたというが、やがて歌謡曲にも興...
「そよ風みたいな女の子」のキャッチフレーズで、1974年に歌手デビューした林寛子。カンコの相性で親しまれ、溌剌としたヴォーカルの魅力をもって、アイドル・シンガーとしても活躍した。本日10月16日...
‘70年代初頭、新三人娘(小柳ルミ子、南沙織、天地真理)と、花の中三トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)の誕生が現在まで続く女性アイドルの原型を作ったと思われる。その強力な2組のトリオに挟まれて...
1973年9月24日、西城秀樹のシングル6作目にあたる「ちぎれた愛」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。西城にとっては初のオリコン1位獲得曲である。のちのちまで「絶唱型」と呼ばれる西...
素朴で親しみやすい笑顔の、庶民的なキャラクター。背中を丸めながらアコースティック・ギターをつま弾く、ちょっと寂し気な姿。70年代後半のアイドル・ポップスを語るときに、忘れ難い一輪の花。本日9月7...
独特のハイトーン・ヴォイスと、ミニスカートにハイソックス。マイクを両手で持って懸命に歌う愛くるしい姿。本日8月20日はアグネス・チャンの誕生日。彼女の登場は70年代日本のアイドル・シーンに衝撃を...
ヒデキ、逝く。…1982年の本日、西城秀樹は通算42枚目になるシングル「聖・少女」をリリースする。作曲者は初めて起用された吉田拓郎である。互いに広島出身であるものの、デビューからしばらくは水と油...
1972年(昭和47年)の本日6月12日は、天地真理の3枚目のシングル「ひとりじゃないの」がオリコンチャートの1位を記録した日。その後計6週に渡って1位の座を独走し、売り上げ的にも真理ちゃん最大...
本日5月8日は、榊原郁恵の誕生日。還暦まであと1年というのが信じられない、親しみやすいキャラは今もなお健在。模範的アイドルとして、日本芸能史に燦然と残しておきたい一人だ。彼女のデビューのきっかけ...
44年前、1974年(昭和49年)の本日4月20日は、伊藤咲子のデビュー曲「ひまわり娘」が発売された日である。73年10月、東芝のレコード部門・東芝音楽工業株式会社は、英国の名門EMIレコードと...
1956年の今日、12月12日は、三木聖子の誕生日。アイドル・ポップス史に残る珠玉の名作「まちぶせ」の初代歌唱者である。デビュー曲「まちぶせ」(1976年6月25日)は作詞・作曲が荒井由実、編曲...