2018年11月13日

1991年11月13日、宮沢りえ『Santa Fe』発売~りえだからこそできた華麗な音楽活動

執筆者:丸芽志悟

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1991年(平成3年)の今日11月13日、日本のエンターテインメント市場を震撼させる一冊の写真集が書店に並んだ。そのタイトルは『Santa Fe』。カメラマンは日本のみならず、世界の写真家界の頂点に君臨する篠山紀信。被写体は、当時泣く子も黙る美少女アイドルとして人気の絶頂にいた、宮沢りえその人である。


91年の11月といえば、その後のロックシーンを劇的に変えてしまうこととなるニルヴァーナのアルバム『ネヴァーマインド』が3日に日本でリリースされ(それこそ初回流通枚数は1万枚程度だった。当時、現場にいたのだから間違いない)、その3週間後にはクイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーが世を去るという、ロック史に於ける大きな転換点になった月である。この二つの出来事に挟まれながら、『Santa Fe』が世の中に与えたインパクトは、この月をより一層忘れがたいものにしたのだ。

この種の写真表現法、もしくはそれに起因する通俗的論争に対して、具体的形容を用いるのにどうも抵抗があるので、ここでも控えめにしていたいのだけど、ここにあるのはアイドル女優ではない、脱皮しつつある18歳の女性のありのままの姿の記録だとしか言えない。たとえ本人以上に、ステージママとして存在感を露わなものとしていた「りえママ」の意向が強く働いていたとはいえ、記録として残るものは残るのである。

ともあれ、最終的には155万部という大判写真集としては異例の大ヒットとなり、通常は少年・青年漫画誌やサラリーマン向け週刊誌しか置かれていないラーメン屋さんの店頭の本棚にまで『Santa Fe』が並ぶというような異常事態も多発。そして、中堅女優から熟女の域に達していたかつての売れっ子歌手に至るまで、多くの女性タレントがアート性の高いこの手の大判写真集の域に挑み始めるという追随現象も招いた。


本題である『Santa Fe』の話はこのくらいにして、ここでしなければいけないのは宮沢りえの「音楽」の話。

87年の後藤久美子登場のあたりから本格化し始めた「美少女ブーム」は、当然の如くレコード界をも襲う。ゴクミを売り出した本家オスカープロは、第2第3のゴクミを狙って「全日本国民的美少女コンテスト」の開催を本格化。それぞれ初代&2代目グランプリの藤谷美紀と細川直美を、当然のように歌手デビューさせている。のちに朝ドラのヒロインとして開花したこの二人のレコードでさえ、典型的アイドル商品の域を出ることはなく、チャートで大成功には至らずじまいだった。同時期にCMがきっかけとなり美少女として注目された佐倉しおりや喜多嶋舞も然り。おニャン子の幻影から逃れられず、CDという新しいメディアへの転換に必死で食いついていた当時のレコード業界にとって、タレント性先行のアイドルは実に扱いにくい存在だった。


その点、87年の「三井のリハウス」のCMで一躍美少女として注目され、翌年の映画『ぼくらの七日間戦争』の主演で人気を揺るぎないものとしていたりえの歌手界への進出は、まさに発想の転換の賜物というか、掟破りで衝撃的なものだった。その初めてのレコード…いやCDシングルは、89年9月15日にリリースされた「ドリームラッシュ」である。初回盤は盤面にカラー写真印刷という、当時としては画期的な豪華仕様8cmシングルだった。蛇足だが、デビュー曲の市販アナログ盤が存在する最後の新人アイドルと言われている日原麻貴が登場したのが、その約1ヶ月前のこと。「ドリームラッシュ」にもアナログ盤は存在するが、プロモーション盤のみであった。




とにかく、デジタルメディア時代に突入したのだから、徹底的にデジタルなイメージを強調したかったのだろう。そこで登場したのが小室哲哉だ。何を今更、と言われそうだが(前述した映画の音楽を担当したコネクションはさておき)、タイムライン的にはTM Networkのアルバム『CAROL』や、自らヴォーカルまでこなした初のソロアルバム『Digitalian is eating breakfast』などの発表・制作時期にあたり、敢えてコマーシャル性を後退させた実験的な音作りへと駒を進めている時期に当たる。「ドリームラッシュ」には、そこからの反動が感じられるような気がしてならない。歌い手の歌唱が音の構造のパーツでしかない、従来の流行歌と完全に造反する音作りを試みつつ、大衆性をこれでもかと強調してみせる。故にポップでキャッチーで、嫌という程耳に残りやすい。これこそが、TRF以降J-pop界を席巻する小室サウンドの最初の布石であった。オリコンでは最高順位2位。この時の1位は、工藤静香「黄砂に吹かれて」だった。


その後、シングル6枚とオリジナルアルバム3枚、その他ベスト盤などもリリースされているのが、宮沢りえの音楽活動のすべてだ。90年代の夜明けを「ふんどしカレンダー」でショッキングに飾った彼女の次なるサプライズは、90年10月リリースされた3枚目のシングル「Game」。ここでは何と、デヴィッド・ボウイがジョン・レノンとコラボし、75年に全米1位を記録した「フェイム」の正規カバーという、無謀とさえ思える試みに挑戦している。一部でカルトな人気を未だ保持するこの曲の衝撃も、翌年の『Santa Fe』の登場で色褪せてしまう。『Santa Fe』以後でさえ、ザ・ブルーハーツとコラボレーションしたシングル「ボーイフレンド」(93年)など、あっと驚く作品を残しているのだ。



94年以降歌うことをやめ、スキャンダラスな出来事をいくつも経ながら、しっかりと個性派女優としての存在感を保ち続けているのは、やっぱり偉い。真のカリスマこそは生き残るのである。そして美少女レコード症候群は、その後牧瀬里穂や観月ありさのCDデビューを実現させながら、トレンディ時代の下り坂を静かに降りていくことになる。個人的には、一色紗英にも歌って欲しかったところだが。

宮沢りえ「ドリームラッシュ」「Game」ジャケット撮影協力:鈴木啓之


≪著者略歴≫

丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』3タイトルが2017年5月に、その続編として、新たに2タイトルが10月に発売された。

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