2018年09月28日
スポンサーリンク
2018年09月28日
本日9月28日は、おニャン子クラブ会員番号29番、渡辺美奈代の誕生日。今日から40代ラストイヤーに突入なんて、おニャン子の夢ももう遠い昔って痛感してしまいます。
ソロデビューは、86年7月リリースされたシングル「瞳に約束」。素人っぽさを売りにしていたおニャン子の中にあって、生まれながらのアイドルオーラを全身から放った彼女は特異な存在だったと言える。最初の5枚のシングルは、秋元康・後藤次利のコンビが敢えて従来のおニャン子関係のシングルの定型から逃げたと思しき、ど直球のアイドルポップス。勢いに乗って5曲連続オリコン1位初登場という快挙を成し遂げるも、いずれも次の週にその座を降りてしまったのは悲劇だった。おニャン子というレッテルが、当時広域の音楽ファンを遠ざけていた事実は、否定しようがないのだから。歌詞に気恥ずかしさを残した3曲目「TOO ADULT」は仕方ないとしても、前後の4曲はもっと幅広く親しまれてもよかったのにと、今振り返れば思う。
そんな美奈代の「乙女の本懐」が顕になり始めたのは、87年9月におニャン子が「終了」してからだ。作家に遠藤京子を起用しての「ガールズ・オン・ザ・ルーフ」、続く「両手いっぱいのメモリー」(ここからCDシングルのリリースがスタート)の2枚のシングルは、佳曲ではありつつ、「過渡期」というより「助走期間」の作品と呼びたい。88年5月に出た8枚目のシングル「ちょっとFallin' Love」でいよいよ、勝負カードを提示してくる。そのカードを切った主は、そう、鈴木慶一である。
88年までに鈴木慶一が制作面で絡んだ女性アーティストというと、当時の奥さん・鈴木さえ子は言うに及ばず、杏里、藤真利子、安田成美といったところがまず思い浮かぶ。いずれの作品にも、歌手そのものの個性をプラスに押し出しつつ、ポップマニアをニヤリとさせる要素と「毒」をこっそり潜ませ、月光騎士団印をはっきりと刻印した。その路線がよりフレッシュな形で発展を遂げたのが、87年、美奈代と同じCBSソニー(当時)からデビューした野田幹子の初期の作品群である。そこで初めて浮上した名前が、渚十吾だ。
当時作曲者・演奏者クレジットでこの名前を見て、一体何者なのだ? 誰かの変名(ほんと、ムーンライダーズ周辺にはこれが数多くありすぎて、悩みの種である)なのか? と思ったのを覚えているが、案の定、後者の憶測は当たっていた。後々にこの人が以前ソニーの洋楽部門でディレクターを務めていて、60年代のマニアックなアルバムの再発シリーズに関わったり、あのフランク・ザッパの一連の「変な邦題」の名付け親だったことを知った時の「目から鱗」感といったら。
そんな二人がライダーズの他のメンバーも巻き込んで作り出した、野田幹子のマニアックなガールポップ路線は、そのまま美奈代の新スタートのテンプレートとなる。7インチシングル盤の衰退とシンクロするように、「ちょっとFallin' Love」をリミックス・ヴァージョンでフィーチャーした4枚目のアルバム『MY BOY -歌え! 太陽-』(88年8月)に散りばめられた「トータル感」は、アルバムアーティストとしての彼女の可能性を感じさせてくれた。それが結実したのが、翌89年2月10日リリースされた続く5作目『恋してると、いいね -the Heart of Love-』だ。このアルバムは、もう名盤の一言に尽きる。
またも想い出話になるが、筆者がムーンライダーズ周辺を取り巻くあれこれについて深く学ぶきっかけを与えてくれたのは、他でもない20世紀最後の約3年間、筆者にとっての「ネット黎明期」に芽生えたコネクションだった。慶一さん、あんなことやあんなこともやっていたの? そんな再学習の一環として、やっとこのアルバムに巡り逢えたのである。発売から当時までに至る音楽的トレンドを考え合わせても、胸キュンポップの王道からかなり遠ざかっていたと言える筆者は、「なんでこんな名盤を聴き過ごしていたのか?」と頭を抱え、アイドルポップ再発見への冒険へと再び足を踏み入れたのだった。
もちろん鈴木・渚両氏が関わっているというだけでも充分魅力的だったが、二人の考える理想的ガールポップが、ここでは全面を覆い尽くす。作詞家陣を全員女性で固めた、等身大の乙女心が表現された言葉陣。一曲毎にニヤリとさせる仕掛けが作動する、ポップフリークらしさ全開のアレンジとサウンド作り。それを抜きにしても、美奈代の歌声ってここまで魅力的だったっけ? 的確にかつ、歌い手の核心をくすぐるプロデュース術の見本とはこれだ。レニー・クラヴィッツが手がけたヴァネッサ・パラディの『ビー・マイ・ベイビー』は、まさに「ポップマニアが趣味性全開でアタックしたガールポップの極致」として、渋谷系以降の日本の女性ヴォーカル・ポップスの雛形に祭り上げられたが、それより3年も前に既にこのアルバムが存在したことを、忘れてはならない。個別の曲にコメントする余地がないのが残念だが、全曲素晴らしい。オリジナルリリース以降、一度も再発されていないのが惜しいし、89年リリースにも関わらず存在しているアナログ盤は激レアである。現在その魅力が再発見されているカセットテープで聴くのも、きっと乙なものだろう。残念ながら、美奈代自身のオリジナルアルバムは、これ以降リリースされていない。数枚のシングルで、さらなる新生面を見せてくれたにも関わらず。
昭和が平成へと転機を迎えたこの時期には、美奈代のみならず、よりピュアなポップへと向かっていった果てに、本当に渋谷系界隈に交わってしまった渡辺満里奈、さらに宍戸留美や吉田真里子、そしてこちらも渚作品の佳曲が収録されている桜井幸子のデビュー作など、ソニー系のアイドルのアルバムに見過ごされた名盤が多く残されている。アナログ盤市場から率先して撤退したメーカーの、アーティスティックな意地というものだろうか。
最後に、渚さんとの私的な思い出話を一つ。2005年、彼のライヴになくてはならない存在となったシンガーでリコーダー奏者、OraNoaさんが小さなカフェで行ったライヴに顔を出した時、集まったお客さんにリコーダーやパーカッションを手渡し、一緒に合奏しましょうという実験的試みが行われた。その時会場にいらしていた渚さんや他のアーティスト仲間と一緒に最寄りの駅まで歩いたのは、まるで集団下校のような体験だった。大好きな名盤を手がけたプロデューサーと一緒に「下校」するなんて。
『恋してると、いいね』の冒頭を飾る「抱いてあげる -Remix Love Version-」のイントロで鳴り響くリコーダーを聴くと、その時のことを思い出す。そして、その経験は筆者が不束ながらやっている「優しい即興演奏」バンド・Racco-1000の活動方針に、大きな影響を与えている。
渡辺美奈代「瞳に約束」「ガールズ・オン・ザ・ルーフ」「ちょっとFallin' Love」『MY BOY -歌え! 太陽-』『恋してると、いいね -the Heart of Love-』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』3タイトルが2017年5月に、その続編として、新たに2タイトルが10月に発売された。
本日5月17日は、城之内早苗の誕生日。1968年(昭和43年)生まれということは、今年51歳。そして、現役バリバリのベテラン演歌歌手である。現在のところ最新曲、昨年(平成30年)9月発売された「...
本日12月12日は1980年、近藤真彦「スニーカーぶる~す」がリリースされた日。新人歌手のデビュー曲が週間チャートで初登場No.1に輝くという前代未聞の快挙を成し遂げた楽曲。作詞の松本隆にとって...
2017年、「日本高校ダンス部選手権」で準優勝した大阪府立登美丘高校ダンス部が “バブリーダンス”を披露したことをきっかけに、使用曲である荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up...
地元・北海道の道花であるスズランの英語名からグループ名が付けられた双子デュオのアイドル、ザ・リリーズは北海道夕張市出身。渡辺プロダクションに所属したザ・リリーズは、ザ・ピーナッツの直系の後輩であ...
1991年(平成3年)の今日11月13日、日本のエンターテインメント市場を震撼させる一冊の写真集が書店に並んだ。そのタイトルは『Santa Fe』。カメラマンは日本のみならず、世界の写真家界の頂...
1986年10月29日、荻野目洋子の通算10作目となるシングル「六本木純情派」がリリースされた。彼女にとっては『ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)』に次ぐヒット曲として知られている。 ...
1981年(昭和56年)の本日、オリコン・アルバムチャートの1位を射止めたのは、伊藤つかさのデビューアルバム『つかさ』だ。10月1日リリースされた同アルバムは、発売12日目にしてアルバムチャート...
1980年6月1日、「No.1」でデビュー。その年の新人女子アイドル・レースにおいては、松田聖子、河合奈保子を追う第3ランナー群の一人として、あまり目立たない位置にいたと言える柏原よしえだが、8...
1978年(昭和53年)1月放映開始され、他のどのチャートにも増して「時代を映す鏡」としての役割を80年代にかけて果たし続けたTBS系音楽テレビ番組『ザ・ベストテン』。8月28日放映のそのチャー...
1981年8月27日、松田聖子の6枚目のシングル「白いパラソル」がTBSの歌番組『ザ・ベストテン』で1位を獲得した。この曲は、『ザ・ベストテン』史上、初の「初登場1位」を記録した作品である。レコ...
本日8月16日は“女子大生の日”である。日本で初めての女子大生が誕生したことに由来するという。女子大生と言えば、80年代に女子大生ブームを牽引した『オールナイトフジ』というフジテレビのバラエティ...
1983年7月4日、薬師丸ひろ子の2ndシングル「探偵物語/すこしだけやさしく」(両A面扱い)が、オリコンのシングル・ランキングで5週連続の1位を獲得した。デビュー曲「セーラー服と機関銃」の5週...
おニャン子の正式な「別働隊ユニット」としては3組目のデビューとなったのが、会員番号38・40・42の三人からなる
本日、4月9日はWink「Sexy Music」が1990年にオリコン・チャートの1位を獲得した日となる。Winkは、69年2月22日生まれの鈴木早智子と、70年2月23日生まれの相田翔子によっ...
1988年3月7日、南野陽子の11枚目のシングル「吐息でネット」がオリコン・シングル・チャートで1位を獲得した。87年1月リリースの「楽園のdoor」から数えて6作連続の1位であり、南野陽子にと...
本日2月15日は、堀ちえみの誕生日。1967年生まれなので51歳を迎える。堀ちえみは大阪府堺市の出身。1981年の第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンに優勝し、翌82年3月21日、「潮風の少...
本日11月28日は、原田知世の誕生日。あの「時をかける少女」が、今日で50歳を迎えるなんてと、時の流れに思いきり切なくなりそうだけど、現在の彼女を前にすると数字なんていかに無意味かを思い知らされ...