2018年10月29日
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2018年10月29日
1986年10月29日、荻野目洋子の通算10作目となるシングル「六本木純情派」がリリースされた。彼女にとっては『ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)』に次ぐヒット曲として知られている。
近年は、「ダンシング・ヒーロー」が日本各地の盆踊りで流されたり、或いは大阪府立登美丘高等学校ダンス部の「バブリーダンス」で一躍脚光を浴びるなど、人気が再燃している荻野目洋子だが、シンガーとしてのブレイクは1985年末にリリースされた「ダンシング・ヒーロー」からで、その後「フラミンゴinパラダイス」「Dance Beatは夜明けまで」を連続してチャートの上位に送り込み、1986年は「荻野目洋子の年」といっても過言ではない活躍ぶりをみせた。その最後に来たのが「六本木純情派」なのである。
ユーロビートのカヴァーである「ダンシング・ヒーロー」のあと、2作続けてNOBODYが作曲を担当、これを引き継いだ吉実明宏も、NOBODY風のメロディーで応え、さらに新川博のアレンジも、彼女をブレイクに導いたユーロビートを基調にしつつロック的なサウンドも加味している。「ダンシング・ヒーロー」以降、荻野目作品のアレンジは馬飼野康二~船山基紀~西平彰~新川博と、ダンス系サウンドに強いアレンジャーを起用しているのも印象的だ。
作詞の売野雅勇は「フラミンゴinパラダイス」以来2度目の起用だが、彼の「都会で刹那的に生きる男女の切なさ」を得意とする作風は、荻野目作品で顕著に現れており、この「六本木純情派」でも「迷子たちの六本木」というワンフレーズを投入することで、浮かれた時代を対象化する視点を与えているのだ。この曲以降、売野は88年の15作目「スターダスト・ドリーム」まで6作連続で荻野目作品を手がけていく(「スターダスト~」作詞の麻生麗二は売野のペンネーム)。80年代の都会を泳ぐ、不良っぽい遊び人風の女の子が、遊びの時間が終わることを予感しつつふと見せる切なさや虚しさ、という荻野目洋子の歌のイメージは、売野によって生み出されたもの。実際の彼女は優等生的なキャラクターであり、そういったギャップも魅力の1つであった。
もうひとつ「六本木」というタイトルが想起させるもの、それは80年代バブルの芳香だろう。アン・ルイス「六本木心中」と並びこの「六本木純情派」は、不夜城・六本木の80年代の空気と、そこに生きる若者たちの挙動を見事に捉えている。タイトルに「六本木」とつけることで、その空気感は一層如実になり、今も人々はこの曲を聴くと、あの狂乱の時代を少し甘酸っぱく思い出すだろう。
「六本木純情派」までの4連続ヒットで、一躍スター歌手に躍り出た荻野目洋子だが、ブレイクの年を締めくくるかのように、12月16日、アルバム『NON-STOPPER』をリリースした。前述のヒット4曲(「ダンシング・ヒーロー」は別バージョン)が全て収録されているほか、ユーロビートのブームを象徴するかのように石井明美がカヴァーし大ヒットさせたフィンツィ・コンティーニの「CHA-CHA-CHA」なども収録されている。注目すべきは、この年バナナラマがカヴァーし全米1位を獲得したショッキング・ブルーの「ヴィーナス」の収録。これは同じビクターのレーベルメイトである長山洋子が、「六本木純情派」リリースの8日前に日本語カヴァーを出しているのだ。現在は演歌歌手として知られる長山は、まだこの時はポップスの歌い手で、その後荻野目とともにユーロビート歌謡のムーブメントを牽引していく存在になる。ちなみにその3ヶ月前には黒沢ひろみも同曲をカヴァーしているが、黒沢版は訳詞が今野雄二、長山版は篠原仁志、荻野目版は森浩美と異なっているのが面白い。
驚くべきことに『NON-STOPPER』は翌1987年のオリコン年間アルバム・チャートで1位を記録した。松任谷由実や中森明菜、或いは『トップガン』のサントラやマイケル・ジャクソンの『BAD』など並み居る強豪を抑えての年間1位である。ちなみにアイドル・シンガーのアルバムが年間1位を獲得したのは、これ以前にない。アナログ盤からCDへの端境期とはいえ、アイドルや歌謡曲はシングル/アーティスト系はアルバム、と棲み分けが(セールス面でも)出来上がっていた日本の音楽シーンの構造を変えてしまったアルバムでもあるのだ。
当時の記憶だが、『NON-STOPPER』は、ヤン車を乗り回す当時の若者たちがこぞってこのアルバムをカセットに収録してかけまくっていた覚えがある。マフラーを改造したヤン車のエンジン音と、緩急なくガンガンにアタマからハードな音の洪水が響きまくるユーロビートは親和性が高いのだが、1曲を除きすべてがアップテンポのユーロで占められた『NON-STOPPER』はまさに相性抜群。しかも「都会の遊び人の切なさ」という歌の内容も彼らにぴったりの世界である。自分の車の隣に乗っていたらいいな、という女の子像が歌われているのだから。もちろんヤン車だけでなく、普通に若者が車を乗り回していた80年代後半のこの時期、カーステレオから流れてくるのに最適な音楽のひとつが荻野目洋子のユーロビートだった。それ以前、松田聖子や中森明菜ら一部のビッグ・ネームを除き、アイドルや歌謡曲のアルバムをカーステでかけて楽しむ若者はそれほど多くなかったので、この現象を起こした『NON-STOPPER』は時代風俗と音楽の関係を考える上で興味深い。アイドル・ポップスがニューミュージックと合流しJ-POPという新しい呼び名が生まれる直前、歌謡曲の最前線にあったのが『NON-STOPPER』であった。
荻野目洋子が単なる1曲のカヴァー・ヒットに終わることなく、そこで起用したユーロビートを自分のものとして「和製ユーロビート」そしてダンスミュージックを展開していったことは、80年代日本のポップ・シーンにおいて極めて重要な出来事である。「ダンシング・ヒーロー」と同様、この「六本木純情派」もまたかなり長い期間チャートの上位に入っていた。アイドル人気だけでなく、楽曲そのものを聴いて気に入った人々が購入したナンバーだったという、何よりの証明だ。和製ユーロビートはその後Winkを経て90年代に入り安室奈美恵らの登場で、新たな段階に突入していくが、その先鞭をつけたのが荻野目洋子であった。
荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」「六本木純情派」「スターダスト・ドリーム」『NON-STOPPER』長山洋子「ヴィーナス」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
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