2018年12月12日
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2018年12月12日
新人歌手のデビュー曲が週間チャートで初登場No.1に輝くという前代未聞の快挙を成し遂げた楽曲。作詞の松本隆にとっても作曲の筒美京平にとっても本格的に手掛けた最初の80年代アイドルであり、所属のジャニーズ事務所にとっても本年度のKing & Princeまで 続くデビュー戦略の端緒となったという意味も含めてあらゆる側面でエポックメイキングな作品となった。
現在ではよく知られている話だが、この曲は直前までもっと大人っぽいAOR的な世界観で制作が進行していたものを、急遽歌詞とアレンジを大 幅に改訂してより疾走感のある作品へと変貌したという。この際に編曲 家として起用されたのがすでに作曲家としての地位を確立していた馬飼野康二。編曲のみの仕事は少なくなっていた時期だが、近藤の担当ディレクターがグループ・サウンズ時代からの盟友だったこともあって引き受けたとされる。その馬飼野は最近に至るまでジャニーズ系の主要な作曲家として活躍を続けている。
イントロから登場して全体をリードする印象的なベースラインは「ピーターガンのテーマ」、カンツォーネの「雨」など諸説囁かれたが、サウンド面も含めた同時代的なインスピレーションの原点としては映画『フェーム』の挿入歌「ホット・ランチ・ジャム」ということで間違いなさそうだ。というのも筒美が翌81年に手掛けた沖田浩之の2曲目「半熟期」に『フェーム』同名主題歌からの引用が認められるからである。
しかも沖田のデビュー曲「E気持」のサウンドがショーン・キャシディの楽曲にインスパイアされているのは、田原俊彦のデビュー曲「哀愁でいと」がショーンのライヴァルだったレイフ・ギャレットの「New York City Nights」のカヴァーであるのを意識していることを思えば、この巨匠がただ単にその時代の洋楽のトレンドを追い求めているわけではないことが痛感させられよう。
ちなみに映画『フェーム』といえば『サタデー・ナイト・フィーバー』に続いて音楽を大きくフィーチャーした作品としてヒットしたが、この流れは80年代になって『フラッシュダンス』『フットルース』『ストリート・オブ・ファイヤー』といったダンス/MTV映画として大きく花開く。興味深いのはその制作スタッフやソングライター陣が人脈的に少しずつ繋がっており、日本でも多くのカヴァー版やインスパイア曲が登場して大映系を中心としたテレビドラマに起用されてヒットした点である。
さて、「スニーカーぶる~す」は12月12日という変則的な発売日も話題を呼んだ。これは別に験を担いでゾロ目にしたわけではなく、チャート誌の集計曜日を計算しての設定なのである。それまでレコード会社のリリース日は例えば“1の付く日”みたいに月に数回と決まっていたのだ。こうした戦略は次第に複数種のジャケット/カップリングでの発売といった具合にエスカレートしていくのだが、これもまた12インチシングルの隆盛やCDシングルの登場に対応して欧米のアーティストがこの80年代に始めたことに端を発している。
近藤真彦「スニーカーぶる~す」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
榊ひろと(さかき・ひろと):音楽解説者。1980年代より「よい子の歌謡曲」「リメンバー」等に執筆。歌謡曲関連CDの解説・監修・選曲も手掛ける。著書に『筒美京平ヒットストーリー』(白夜書房)。
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