2019年07月03日

本日7月3日は元フリーのベーシスト、アンディ・フレイザーの誕生日

執筆者:佐藤晃彦/JEFFSATO

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今日は元フリーのベーシストとして有名なアンディ・フレイザー(本名:Andrew McLan Fraser)の誕生日(1952年7月3日)である。残念ながら2015年3月16日に62歳という若さでこの世を去ってしまっているが、元気なら67歳ということになる。


アンディはロンドンのほぼ中心地でもあるパディントンで生まれその近隣で育った。少年時代から様々な文化、ロックやブルース等の音楽に接することが出来る環境にあることから、音楽的に早熟な少年であったのであろう。5歳の時にクラシックのピアノを始め12歳でギターを弾き始め、13歳でイースト・エンドでプレイを始め、15歳でハマースミスの学校に通学しバンド活動を続けた。その同じ学校の友人にブリティッシュ・ブルースの父、アレクシス・コーナーの娘がいて、その紹介でアンディはアレクシスと会うこととなる。その後ブルースブレイカーズのベーシストを探していたジョン・メイオールがアレクシスに電話をした際アンディを紹介、若干15歳のアンディはブルースブレイカーズに加入、その時期のギタリストは後にローリング・ストーンズに加入するミック・テイラーであった。ブルースブレイカーズにはたった3ヵ月程度しか加入しておらず、ライヴは行われているが残念ながらその時期に正式なレコーディングされたものは残されていない。


アンディは若いながらも運命的な出会いをした、ポール・ロジャース(ヴォーカル)、ポール・コゾフ(ギター)、サイモン・カーク(ドラム)とバンド、フリー(Free)を結成、全員10代と若く、アンディはデビューした時に17歳というアイドル並みの若さであった。たった4年しか在籍していないので脱退寸前(最初の解散、アンディ抜きで再結成あり)でも21歳、この4人の髭を蓄えたロング・ヘアーから、とても20歳前後とは思えぬ風貌と風格を感じる。そしてその風格は容姿だけでなく、音楽・サウンドにも表れている。


デビュー当時はレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル等、英国ではハード・ロック・バンドが次々とデビュー。多くのバンドはヘヴィーで隙間なくギターやキーボードビッシリと詰め込んだ、後のヘヴィー・メタルへの第一歩とも言えるサウンドであったが、フリーは全く正反対。クリームにも近いブルースをしっかりとルーツとした曲で、エフェクター類は極めて少ないシンプルな楽器そのもののサウンドを活かし、さらにギター、ドラムと共に音を詰め込むことでなく、一音一打絶妙なタイミングとエレクトリック楽器の真のサウンドとサウンドの隙間で見事なグルーヴを作り上げ、唯一無比なフリー・サウンドを作り上げた。


しかし他のバンドに比べるとあまりにも地味な音創り、コマーシャリズムのないメロディーにシンプルなLPジャケット、サイケなロックの時代にしては地味なファッションで、なかなか人気に火が付かなかった。それでも英国、さらに日本では「オール・ライト・ナウ」がスマッシュ・ヒットし、人気バンドの仲間入りを果たすも、バンド仲や音楽的方向性等にズレが生じ、あまりにも素晴らしかった1971年の日本公演の直後に分裂、一度はよりを戻しアルバム『フリー・アット・ラスト』を発売するもアンディは脱退する。


その後、日本人ベーシスト、山内テツ(後にフェイセズに加入)とキーボードにラビット(ジョン・バンドリック)が加入するも二度目の来日直前(EL&Pのオープニング・アクト)にポール・コゾフが脱退、サイモン・カークも病気をおしての強行プレイ、ポール・ロジャースはギターを弾きながら歌うという、お世辞にも素晴らしいライヴとは言えず、アンディのいない第二期は苦い経験となってしまった。


さて、アンディのベース・プレイであるが、極めて個性的と言って良いだろう。ギブソンのEBベースはジャック・ブルースやフェリックス・パパラルディ等が使用したベースで、ファットで歪ませるとブリブリとうねる独特なサウンドを醸し出す。アンディはジャック・ブルースに影響され使用したと思われる、その影響を感じさせるプレイが多いが、意外にもモータウンやスタックスに多大な影響を受けており、ジェイムス・ジェマースン等の有名なソウル/ファンク・ミュージシャンからリズム感、タイム感、独特な「間」を学んでいると思われ、そこが他の英国ハード・ロック・ミュージシャン/ベーシストとの大きな違いとなっているのだろう。


確かに隙間だらけなサウンドであるが、ギターもドラムも無理にその間を埋めるようなことはせず、よくこのトリオが出会い合致するサウンドが創れたものだと思う。誰もが前面にしゃしゃり出ることもなく、一音一打大切にプレイし完成したグルーヴがフリー解散後にも評価がうなぎ上りした要因であろう。もちろんコゾフのギターの素晴らしさ、この間の中で歌い切ったロジャースの素晴らしさは言うまでもない。


フリー脱退後のアンディの活動についてはあまり良く知られていないのが現状であるが、確かに目立って成功することもなく、ロックからソウル、コンテンポラリーな音楽性に変化していったので、フリーのファンからは遠ざかっていったのかもしれない。


唯一のロック作品とも言えるのが、クリス・スぺディングとのバンド、シャークスである。しかし自身の個性を出すことが出来ず一枚で脱退。自身がヴォーカルを担当するファンキーなバンド、アンディ・フレイザー・バンドでのアルバムや、マッスルショールズで現地の素晴らしいミュージシャンとアルバム「イン・ユア・アイズ」等、自身のやりたかった音楽性を正直にアルバム制作を行ったが、大きな結果を得ることは出来なかった。


その後10年ほど目立った音楽活動もなく届いてきたのが、自身がホモ・セクシャルであることに気づき妻子とも別れ、米国に移住というニュースであった。その後1984年と2005年にソロ・アルバムをリリースしたが、好きなブラック・ミュージックの要素はあるもののアダルト・コンテンポラリーなアルバムで、フリー時代を望むファンには届かない内容であった。2013年、突然フリー以来の来日を果たし、フリー時代の楽曲もプレイし、活動が少なかっただけにそれでもファンは喜んだが、2015年にエイズを発症し、残念ながら帰らぬ人となってしまった。


≪著者略歴≫

佐藤晃彦 / JEFF SATO(さとう・あきひこ):1955年10月13日生まれ、78~00年までワーナー・ミュージックとユニバーサル・ビクターで、主に洋楽・邦楽ディレクターとしてジャクソン・ブラウン、モトリー・クルー、ラウドネス、渡辺貞夫、松岡直也、憂歌団、喜多郎、hide/pata (X Japan)、Zeppet Store等を担当、独立後(有)ジェフズ・ミュージックを設立、音楽制作、インディーズ・音楽著作権管理、大学・専門学校講師、おやじバンド・イヴェント企画、音楽ライター、CDレコード・ショップ運営等を行う。

フリー・ライヴ+7 CD フリー 形式: CD

フリー・アット・ラスト+6(紙ジャケット仕様) 限定版, オリジナルレコーディングのリマスター フリー 形式: CD

ANDY FRASER BAND / IN YOUR EYES CD, インポート Andy Fraser 形式: CD

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