2019年05月13日
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2019年05月13日
現役。
スティーヴィー・ワンダーが現時点での最新アルバム『ア・タイム・トゥ・ラヴ』を出したのは、2005年、つまり14年前だ。その前作は、1995年の『カンヴァセーション・ピース』『ナチュラル・ワンダー』だから、その間隔約10年。一言でいえばなかなか新譜はでてこない。ところが、スティーヴィーのニュースはコンスタントに入ってくる。
「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命も大事だ)」の動きがあればコメントもでるし、「跪き(ひざまづき=ニーダウン)運動」のときはスティーヴィ―は賛同の意を表示する。もちろん、反トランプも明確だ。アレサ・フランクリンの葬儀にもきちんと顔をだす。また本数は多くはないがライヴ・コンサートもぼつぼつとやっている。
そういう意味で、スティーヴィ―は69歳にして現役ばりばりのアーティストだ。
失明。
スティーヴィー・ワンダーは1950年5月13日、アメリカ北部ミシガン州サギノーというデトロイトの北西約150キロのところにある当時は人口約9万の小さな街に6人兄弟の3番目の子供として生まれた。(ちなみに、2017年には人口は5万人を切っており、過疎化が進んでいるようだ)
早産で未熟児だったため保育器にいれられたが、ここで酸素過多のため失明。スティーヴィ―が4歳のころ、母は子供たちを連れ、北部の都市として発展していたデトロイトへ引っ越し。このころから、すでに音に対して敏感で、音楽の才能を見せ始めていた。
11歳(1961年)でデトロイトの新進気鋭のインディ・レーベル、モータウン・レコードの創始者・社長ベリー・ゴーディーに認められ、モータウンと契約。1962年に「12歳の天才」として鳴り物入りでデビューした。最初はなかなかヒットがでなかったが、1963年5月にリリースされたライヴ・アルバム『ザ・トゥエルヴ・イヤー・オールド・ジニアス』がアルバム・チャートで1位、同アルバムからのシングル「フィンガーティップス(パート1、2)」がポップ・チャートで1位になり、大ブレイク。以後若干の波はあれどコンスタントに作品を出し、ヒットを生み出すようになった。
大きな転機となったのは1971年5月13日。スティーヴィ―が21歳になったとき。彼はそれまでモータウンと未成年で契約を結んでいたが、この誕生日を機に、自分自身の「クリエイティヴ・フリードム」(創作の自由)を獲得。それまでは基本的には、モータウンから与えられた楽曲を歌っていたが、これ以降は、自身が感じたこと、思ったことなどを直接自身の作品に反映するようになった。その結果生まれたのが、自分で曲を書き、楽器も演奏し、プロデュースしてできたアルバム『ミュージック・オブ・マイ・マインド(邦題、心の詩)』(1972年3月発売)だ。その前作1971年4月発表の『ホエア・アイム・カミング・フロム』も当時の妻でもあったシリータとの共作で、かなり「創作の自由」を得ていたが、この『心の詩』以降が完全に自分のものになった。
続く『トーキング・ブック』(1972年10月)、『インナーヴィジョンズ』(1973年8月)、『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』(1974年7月)、『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』(1976年9月)はいずれもスティーヴィー・ワンダーのアーティストとして最高峰の作品となり、さらにグラミー賞を獲得。彼のアーティストとしての名声を決定的なものにした。これまでにグラミー賞一般部門は25、同賞「ライフタイム・アチーヴメント賞」も獲得している。
最近のスティーヴィ―の定例イヴェントは、毎年12月にロスアンジェルスのステイプルズ・センター(グラミー賞などが発表される会場、コンサートで使うと約2万人の収容人数)で行われるおもちゃを子供たちにクリスマス・プレゼントとして贈る「ハウス・フル・オブ・トーイズ」。ただライヴ・コンサートはスティーヴィーが声をかけたアーティストたちが惜しげもなく、登場する一大エンタテインメント・ショーだ。
2013年の同イヴェントでは、スティーヴィーの傑作アルバム『キー・オブ・ライフ』の全編を再現する企画を実施、これが大好評だったため、翌年、このアルバム再現ツアーが実現したほどだ。
来日は2010年8月のサマーソニックが最後。そろそろ来日してほしいところだ。
≪著者略歴≫
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