2019年05月20日
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2019年05月20日
もちろん筆者は、その翌年に公開された記録映画『ウッドストック』で初めてまのあたりにしたのだが、世界レベルで彼の名が鮮明に認識されたのはそのときだったろう。その少し前、日本のある音楽誌の写真もないベタ記事で、「イギリスでジョー・コッカーという新進の歌手が、ビートルズ・ナンバーを歌って人気を博す」というような内容の情報だけは知っていたのだが、まさかここまでやっていたとは…、というのが正直な感想だ。
1944年5月20日、イングランドの工業都市シェフィールドの生まれ。ガス会社に職を得る傍ら音楽活動を開始。レイ・チャールズをアイドルに、R&Bやブルースを好み、地元のクラブ・シーンで評判をとる。64年にデッカからビートルズ・ナンバー「ぼくが泣く」をカヴァーしてレコード・デビュー、66年にキーボードのクリス・ステイントンらとグリース・バンドを結成したころ、プロデューサー、デニー・コーデルの目に止まり、彼のディレクションのもと、68年に先述の「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」が68年にUKチャート1位を獲得した。
この成果を足がかりに、コッカーとグリース・バンドはアメリカをツアー。エド・サリヴァン・ショウや、数々のロック・フェスに登場するうち、ウッドストック・フェス出演の声がかかる。その大成功を経てセカンド・アルバム『ジョー・コッカー』をLAで録音。その後、帰英してしばらく休養をとるつもりだったコッカーだが、まだ米国ツアー契約が残っており、一方でバックのグリース・バンドはクリス・ステイントンを除いてワイルドなツアー生活に辟易して帰英してしまった。
そこに助け舟を出したのがレオン・ラッセルだ。彼はコッカーのプロデューサー、デニー・コーデルと意気投合し、シェルター・レコードをともに立ち上げたころ。ラッセルはコッカーをメイン・アクトに据えたレヴュー形式のプロジェクト・バンド、総勢20名を越えるマッド・ドッグス&イングリッシュメンを急きょ編成し、70年3月に残る契約日程を大盛況のうちにこなす。このプロジェクトは2枚組ライヴ・アルバムに加え、ドキュメンタリー映画にも記録され、スワンプ・ロック全盛期の大きなハイライトとなる。これが災い転じて、コッカーに2度目のビッグ・タイムを立て続けにもたらしたのだった。
ワイルドで無鉄砲なロック・シンガーというイメージが定着してしまったジョー・コッカーだが、その後の作品では荒くれた歌唱の中にも、寂寞とした情感を込めた表現が際立つようになる。74年のアルバム『アイ・キャン・スタンド・ア・リトル・レイン』に収められ、全米チャート5位に達した「ユー・アー・ソー・ビューティフル」は感動的な名唱のひとつに挙げられるだろう。
82年にはジェニファー・ウォーンズとのデュオで映画『愛と青春の旅立ち』の主題歌「アップ・ホエア・ウィ・ビロング」を歌って全米No.1、さらにこの曲でグラミーも獲得した。もっとも60年代、70年代のワイルドなライフスタイルが、コッカーの健康を損なっていたことは否めない。83年の3度目の来日では初日の公演が中断、残る公演もキャンセルになるという事態があった。2014年12月22日、肺ガンで亡くなったコッカーだが、彼のレイター・イヤーズにもいいアルバムはたくさんある。中でも特にお勧めしたいのが96年の『オーガニック』。名プロデューサーのドン・ウォズがコッカーの真骨頂、ロック/ソウル・モードを全編に引き出し、選曲・バッキングともども、天性の歌手像を理想的な形でアルバムに刻んでいる。
≪著者略歴≫
宇田和弘(うだ・かずひろ):1952年生まれ。音楽評論家、雑誌編集、趣味のギター歴は半世紀超…といろんなことやってますが、早い話が年金生活者。60年代音楽を過剰摂取の末、蛇の道に。米国ルーツ系音楽が主な守備範囲。
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